前のブログ「コラールカンタータ」に記したように、来月、「マタイ受難曲」を聴く予定になっている。その予習の意味もあって、「聖書」――この場合は新約になるが、を読み直している。
すると、やはり疑問を覚えるところが出て来る。もっとも大きな疑問は、標題としたイスカリオテのユダの存在である。なぜ、ユダの裏切りが必要なのか。これは、私だけの疑問でなく、これまでにもさまざまな議論があり、さらには神学上の大問題にもなっているらしいことはよく承知している。
ここでは、しかし、そうした面倒なところには立ち入らず、疑問のみを簡単に記す。イエスは、ユダの裏切りを知っていながら、なぜユダを使徒の一人に加えたのか。
イエスの受難は、ユダの裏切りがなくても、ユダヤ教――パリサイ派にせよサドカイ派にせよ、その祭司者たちのイエスへの敵視、さらにはその唆(そそのか)しに同調したユダヤの民の声さえあれば、もたらされたに違いないからである。すべてを見知った上で、ユダの裏切りを許したイエスは、そもそもユダをどう思っていたのか。
「マタイ伝」によれば、ユダは裏切りを後悔して、首を括って死んだとある。「使徒行伝」に至っては、ユダは地面に真っ逆さまに落ち、腹が裂けてそこから臓腑がこぼれ出た、とある。いずれにせよ、そこに救いはまったくないから、イエスの博愛は、ユダにはついに及ばなかったことになる。
「聖書」においても、そこに疑問を抱いたのか、「ルカ伝」「ヨハネ伝」では、ユダの裏切りは、ユダに悪魔(サタン)が取り憑いたためだとしている。だが、それならば、イエスは、その悪魔を除いてやればよいだけではないか。実際にも、イエスは、他の人々に取り憑いた悪霊を除いてやったりしているからである。
十二使徒のうち、ユダだけが出身地を異にしているからだとする理解もあるらしい。イエスと十一使徒はガリラヤ人(びと)だが、ユダのみはユダヤ人(びと)だったから、そこに生ずる疎外の意識がユダの裏切りを生んだとする理解である。もっともらしくはあるが、イエスはそうした違いを認めた上で、ユダを使徒にしたのだろうから、この理解も素直には納得できない。だから、疑問はどこまでも尽きない。
イエス受難のいきさつを「聖書」で振り返ると、いつも思うのは、大逆事件で刑死した一人の囚人のことである。その名は内山愚童。曹洞宗の僧の経歴をもつ(この事件で宗派から破門されることになるが)。大逆事件では、幸徳秋水、管野スガ以下十二名が処刑されるが、愚童もその中の一人である。大逆事件の顚末を詳細に記した神崎清『革命伝説』全四冊(芳賀書店刊、これは労作である)には、その最期の場面が、次のように記されている。
処刑に立ち会った教誨師沼波政憲(真宗大谷派の僧)が、愚堂に「あなたは元僧侶のかたであったから、せめてイマワのキワだけでも、念珠を手にかけられてはどうですか」と勧めたところ、愚童はしばらく考えた後で「よしましょう」と答えた。同じ宗教者として不審に思った沼波が理由を尋ねると、愚童は「たとえ念珠をかけてみたところで、どうせうかばれっこないのです」と答えた。
その後、愚童は従容として処刑されたというのだから、見事な死というほかない。イエスの受難より、私はむしろこの愚童の死に感銘を覚える。死を見据えた宗教者としての究極の諦観がそこ見られるからである。なお、箱根の大平台に、愚童が住職を勤めた林泉寺があり、そこに愚童の墓がある。
「聖書」ついでに、疑問をもう一つ。イエスには、マグダラのマリアを始め、女の弟子も付き従っていたはずだが、十二使徒は男ばかりである。これはどうしてだろうか。それゆえ、過越の祭の夕餉の場、つまり「最後の晩餐」の場にも女はいない。もっとも、昔の映画『ダ・ヴィンチ・コード』(原作は、ダン・ブラウンの同名の小説)では、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の壁画の、イエスの隣の人物が、ヨハネではなくマグダラのマリアだとする解釈を示しているが、どうやらこれは一般には認められていない理解のようである。