雑感

羊羹のこと

投稿日:2023年6月12日 更新日:

饅頭について記したので、今度は羊羹である。

羊羹といえば、夏目漱石の『草枕』を超える文章には、いまもお目に掛からない。主人公(語り手)の画工は、那古井温泉(モデルは熊本県玉名市の小天(おあま)温泉)に滞在する。その宿の出戻り娘の那美さんが、部屋にお茶を入れに来る。その菓子皿に、羊羹が載っている。

菓子皿のなかを見ると、立派な羊羹が並んでゐる。余は凡ての菓子のうちでも尤も羊羹が好(すき)だ。別段食ひたくはないが、あの肌合が滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は、どう見ても一個の美術品だ。ことに青味を帯びた煉上げ方は、玉(ぎょく)と蠟石の雑種の様で、甚だ見て心持ちがいゝ。のみならず青磁の皿に盛られた青い煉羊羹は、青磁のなかゝら今生れた様につやつやして、思はず手を出して撫でゝ見たくなる。西洋の菓子で、これ程快感を与へるものは一つもない。

まことに見事な描写であって、これ以上の羊羹讃美の言葉はない。だから、ここに記すのは、ごく些細(ささい)な私的な思いに過ぎない。

大昔は、落語好きの友人の影響もあって、羊羹は駿河屋のものでないといけないように思っていた。
駿河屋は、本邦練羊羹の元祖で、室町時代中期の創業という。もともと京都の店だったようだが、徳川将軍家の愛顧を受け、駿河や紀州に移転したという。屋号の駿河屋は、それによるのだろう。虎屋黒川などよりも、ずっと格式の高い店だった。
それで、駿河屋の羊羹を第一と考えていたのだが、どこかで雲行きがおかしくなった。架空増資事件があったりしたあと、とうとう破産ということになったらしい。その顚末の詳細は知らない。いまは、元従業員などによって、再建が果たされているようだが、悪い噂が立ち始めてからは、買うのをやめてしまった。

いま、食べておいしい羊羹は、先に名を出した、虎屋黒川のものである。四鐶(しかん)の虎の虎屋である。老舗ではあるが、新たな味の工夫もいろいろと見られる。甘さもほどよい。もっとも、値(あたい)は高直(こうじき)である。一口サイズでもそれなりの値だから、自分ではまず買わない。

こうした格式の高い羊羹とは別に、もっと庶民的な羊羹もある。頭に浮かぶのは、近江八幡の丁稚(でっち)羊羹である。竹皮に包んだ薄い羊羹で、砂糖や小豆の量を減らし、小麦粉を混ぜて蒸し上げたものという。値が安いので、丁稚でも買えるというのが、命名の由来らしい。しかし、その素朴な味わいは、上品な練羊羹とはまた違ったよさがある。近江八幡が、商都として栄えた時代の名残の一つだろう。

いまの羊羹は、どれも練り上げた羊羹を、まだ熱いうちに、長方形のアルミの袋の中に流し入れて固める。それで長期保存ができるようになったらしい。だが、それが、羊羹を味わう楽しみの一つを奪うことにもなった。
昔の羊羹は、ボール紙製と思しき箱の内側にアルミ箔を貼り、そこに流し入れて蓋をした。食べる時には、横に出ている糸のようなものを引いて、蓋を開ける。だから気密性は低い。しかも、一度開けたら、外気とそのまま触れあうことになる。ただし、それは利点でもあり、中から滲み出た糖分が浮き出て、羊羹の表面が白く固まる。これが、実においしい。そのシャリシャリ感が何ともたまらない。適切な比喩とは言いがたいが、釜で炊いたご飯の、お焦げを食べる気分と似ているかもしれない。

しかし、こうした昔ながらの羊羹は、昨今、まったく見かけなくなった。鳩サブレーで知られる、鎌倉の豊島屋が、しばらくこうした羊羹を売っていたような気がする。だが、それもかなり曖昧な記憶に過ぎない。

もっとも、糖分の浮き出た羊羹の愛好者は、存外多いのかもしれない。初めから、全体をそのようにしている羊羹もある。佐賀の小城(おぎ)羊羹である。固めた羊羹を、しばらく乾燥し、表面を糖化させるらしい。シャリッとした食感を好む人のために、あえて昔風にしているという。

小城羊羹ほどでなくていいから、そうした昔風の羊羹が、どこかで手に入らないものかと思う。

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