衆議院議員選挙の結果を見て、世も末になったと思う。言い換えるなら、日本もまたポピュリズムの時代になったということにほかならない。
このことについては、このブログでも、「ヒトラー『わが闘争』」「全体主義国家・日本」「全体主義国家・日本・続」「民主主義の危機」「民主主義の危機・再論」で、ずっと危惧を述べ続けて来たが、いまやさらにひどい状況になった。つくづく愚かな国民ばかりになったと思う。
高市某とやらは、安倍の子分を自称しているという。さらには新自由主義の元祖ともいうべき英国のサッチャー首相を、自身の理想と仰いでいるともいうから、これから先、碌な結果にならないだろうことは、今からでも見通せる。積極財政を進めるというが、いまやまったくの破綻に瀕している赤字国債の垂れ流しをどう処理するつもりなのか。ここでまた新たな国債の発行を繰り返すつもりなのか。それに歯止めを掛けるべき財務官僚が、すっかり手足の出ない状態にさせられてしまっていることは、すでに前のブログでも述べた。
今回の選挙が、これほど一方的な結果になったのは、反高市の受け皿になるべき立憲民主党が、選挙の直前、公明党と野合したことが、その大きな要因の一つと見てよいように思われる。高市に対して、どんなに批判的であっても、そんな野合の党などには、およそ票を投ずる気にはなれない。こんなことは、考えればすぐにわかることである。
公明党は、創価学会を母体とする政党である。創価学会が、池田大作の指示のもと、折伏(しゃくぶく)運動を繰り返して、世間の批判を浴びたことは、いまやすっかり忘れ去られてしまったのだろうか。その被害のさまは、統一教会のそれと似ているともいえる。さらには国立戒壇問題、あるいは藤原弘達の創価学会批判の著書への言論弾圧問題。創価学会、池田大作は、これらに対して一応の謝罪はしたようだが、私の世代はなお、創価学会、公明党の、こうした過去の胡散臭さを、いまだに拭い去ることができずにいる。池田大作の国会での証人喚問を阻止するため、公明党が自民党にすり寄るようになったことも、さらにはそれを自民党の側が受け入れたことも、自民党側の事情はともかくも、実に気持ちが悪いとしかいいようのないことだった。
そうした歴史をもつ公明党と、立憲民主党はなぜ野合しようとしたのか。どう考えても、愚かな判断だというほかない。
前のブログにも書いたことだが、ヒトラーの政権も、国民の圧倒的な支持によって生まれた。そのことを肝に銘じておかなければならないと思う。