雑感

一等車

投稿日:2022年3月29日 更新日:

昔の国鉄(日本国有鉄道)には、戦前から戦後に掛けて、ずっと等級制が敷かれていた。当初は一等、二等、三等の三等級に分かれていたが、昭和35年(1960年)、一等、二等の二等級制に改められた。もっとも、実際には、一等の廃止であり、二等、三等の名称を格上げしたに過ぎない。
切符も、以前は等級による色分けがあり、一等は白(黄に近い)、二等は青、三等は赤とされた。二等級制になった後も、一等は青、二等は赤だったから、格上げであることは、そこからもわかる。

本来の一等車には、ついに乗る機会がなかった。昔の交通博物館(神田)に展示されていた展望車(一等車)で、その雰囲気を少し味わったに過ぎない。
二等級制になって間もない頃、北海道に渡ったことがある。当時はまだ蒸気機関車が主力だった。二等車に乗ったのだが、青函連絡船のみは一等船室にした。そういう選択もできた。記憶が確かなら、通しで買ったその時の切符の色は、二等の赤ではなく、一等の青だったように思う。

一等車は、選ばれた階級の人たちが乗るものだった。とくに戦前はそうだった。
山田耕筰について触れた、朝比奈隆の回想を見ると、その様子がよくわかる。山田は、贅沢できるほどの経済的な余裕がないにもかかわらず、いつも一等車に乗っていた。その理由について、朝比奈は山田から以下のようなことを聞く。

われわれ(朝比奈など)、先生(山田)が貧しい生活をしていらしゃるということを知ってましたし、「先生、どうして無理して一等にお乗りになるんですか」と聞いたことがあるんですよ。そしたら、「これは君たちのためだよ。音楽家というものが、いま社会で職業のうちにも入らないほど低く見られている。僕が一等に乗れば、一等に乗っている人は各界の相当な人だ。そういう人と対等の付き合いをして、音楽家というものが、このくらいの力があるんだということを見せてやっているんだ」……(朝比奈隆『朝比奈隆 わが回想』、中公新書)。

なるほど、「各界の相当な人」でなければ、一等車には乗れなかった。金満家だから乗れるという雰囲気ではなかったらしい。一等車の乗客には、(その実態はともかくも)それなりの品性や教養が求められたということだろう。
前回のブログで、夏目漱石『三四郎』の冒頭部分について述べた。東京に向かう汽車の中で、三四郎と広田先生が出会う場面なのだが、三四郎はまだ広田先生が何者なのかを知らない。最初、中学校の教師らしいと推測するのだが、会話を交わすうちに、少し違っているかもしれないと思い始める。そこでの三四郎の観察がなかなか興味深い。

何だか中學校の先生らしく無くなって來た。けれども三等に乗つてゐる位だから大したものでない事は明らかである。

三四郎と同じく、三等車に乗っていることが、身分を判断する手掛かりになっている。第一高等学校の教師である広田先生が、なぜ三等車に乗っていたのかはわからない。当時の常識なら、二等車以上に乗るべきなのだろう。

内田百閒も、一等車が大好きだった。初期の随筆集『百鬼園随筆』に「一等車」という短文が載っている。粗末な身なりで、初めて一等車に乗った体験を記している。「私は汽車の一等に乗つた事がないから、乗つてみようと思ひ立つて、上野から仙臺までの白切符を買つた」というのが、その冒頭だが、いかにも百閒らしい書きぶりである。ボイ(給仕のボーイだが、百閒はこう書く)に傅(かしず)かれて、どこか場違いだと感ずる、その気まずさも現れていて、そこがなかなかおもしろい。

その「一等車」の冒頭は、さらに次のように続く。

その當時、私は陸軍と海軍の學校の先生をしてゐたから、切符は官用の半額である。だから、實は二等の切符よりもやすかつたのだけれど……。

ここに記されているように、戦前には、官吏や軍人には官用の割引があった。それでも、一等車に乗れるのは、高級官僚や高級軍人に限られていただろう。先の山田耕筰の話にも、「展望車には、三井さんも乗っておられれば、大臣も乗っておるし、高級官僚も乗っているでしょう」とある。
いまの目から見ると、官尊民卑の特権のように思われるが、反対からいえば、官吏や軍人もまた、一流の人物と同乗することで、その素養を磨く意味があったと、肯定的に捉えることもできる(これもまた、実態はともかくも、だが)。

ここでも選ばれた階級という存在を考えなければならないが、日本の戦後社会は、そうした階級による差別の徹底した打破を目指した。その結果、人はすべて平等でなければならないとする理念が、つよく行きわたるようになった。
国鉄の等級制の廃止も、その現れであるに違いない。昭和44年(1969年)のことである。一等車をグリーン車に、二等車を普通車に名称変更したのは、一等、二等が階級に結びつくことを忌避したためだと思われる。それが、そのままJRにも受け継がれている。その意味で、ヨーロッパの鉄道が、いまだに一等、二等の等級制のままであるのは、なかなか興味深い。
いまやグラン・クラスなどという、グリーン車よりもずっと豪華な車両(サービスも)も誕生しているが、クラスとありつつも、階級制への忌避の意識は、そこにも現れているように思う。

グリーン車にしても(グラン・クラスも同じ)、かつての一等車のように、乗客の品性や教養が問われることはない。むしろその逆で、しばしば低劣な客がいたりもする。

ここから、平等ということの意味を考えたいとも思うのだが、そこに踏み込むと、危ういところに行きかねない。人はすべて平等でなければならないとする理念は、別の厄介な問題を生むからである。以前のブログ「民主主義の危機」「ヒトラー『わが闘争』」で述べた、民主主義が内包する根本の問題である。興味のある方は、ぜひそれを御覧いただきたい。

-雑感

Copyright© 多田一臣のブログ , 2025 AllRights Reserved.