森川昭先生が亡くなられた。東大へ赴任されたのは、私が国文学研究室の助手を勤めていた時分のことだから、授業の場で、直接の教えを受けたことはない。まことに博識の先生で、あらゆることに通じておられた。ブログのどこかに記したが、先生の『東海道五十三次の事典』(三省堂、その改訂版が『東海道五十三次 ハンドブック』)には、その蘊蓄が、簡潔な記述の中に凝縮されていて、東海道を旅する際には、いまもお世話になっている。
先生は昭和7年(1932)8月のお生まれだから、93歳で亡くなられたことになる。その訃報通知が、昨日、人文社会系研究科(文学部)の事務からメールで送られて来た。「本研究科 名誉教授 森川昭殿(享年95)におかれましては、令和8年2月3日(火)にご逝去されましたので、ここに謹んでお知らせいたします」という文面で、「享年95」とある。そこに不審を覚えたので、事務に電話で尋ねてみた。すると、「享年」は数えで計算するのが一般的で、今回もそのようにしたという答えであった。
それが常識なのだとすると、私がまったくの無知だったことになる。そこで、あれこれ調べてみた。なるほど、そのような説明もたしかに見受けられる。数えで計算するのが「享年」で、満で計算するのが「行年」だとする区別を記したものもある。しかし、これは、やはりおかしい。お寺や葬祭業者が、そのように言い広めているのだとしか思えない。
私のように古典を扱う人間にとっては当たり前のことだが、近代以前は、年齢は基本的に数えで計算した。いまのように誕生日を迎えることで年齢が一つ増すわけではなく、新年を迎えると、誰もが一様に年齢を一つ加えた。それで、大晦日の晩を「年取り」と呼んだりした。生まれた年を当歳、つまり1歳と考えたから、12月生まれの子の場合、新年を迎えるとすぐに2歳になる。いまなら0歳というべき年齢だから、数えでは、二歳の差が生ずることになる。それゆえ、誕生日を重視する習慣もほとんどない。そもそも、歴史に残る人物でも、誕生日がわからない場合の方が圧倒的に多い。
となると、なぜいま「享年」を数えで計算するのか、その理由がまったくわからない。「伝統的に」などという説明も見られたりするのだが、満で数えるのが当たり前になっているこのご時世に、なぜ没年齢の計算だけに、数えの年齢を残そうとするのか、実に不思議である。そこだけを近代以前に戻して、どういう利点があるのか。ついでながら、「享年」「行年」で数え方を変えるという理由もよくわからない。お寺や葬祭業者には何らかの理屈があるのかもしれないが、それもやはり不合理だというしかない。「享年」はこの世で生を享けた年数、「行年」はこの世で経過した年数の意で、どちらも同じ意味になるから、あえて区別する必要はない。
こんなことをあれこれ考えていたら、人文社会系研究科(文学部)の事務から、再度訃報通知が届いた。そこには「森川昭殿(93歳)」とあり、「先ほどお送りしました通知につきまして、数え年でのご連絡を差し上げておりました。満年齢にて再度ご通知いたします」という注記が加えられていた。「享年」を外したのは、数えで計算すべきだとする慣例がどこかにあることを意識したからだろう。私以外にも誰かが、問い合わせをしたのかもしれない。