以前、このブログに、「物語の読み方」という小文を載せた。
そこに、市古貞次先生の講義のことを書いた。先生は講義で、中世小説の梗概をお話しになるのだが、それが実におもしろそうなので、原作を借り出して読んで見たら、案外とつまらなかった。そんなことを書いた。
これに近いことで、忘れていたことが、ふと頭に浮かんだ。伊藤整の『若い詩人の肖像』である。
詩人としての自立を模索しつつある伊藤の青春時代を、自伝的に描いた小説である。もっとも、まったくの虚構ではなく、かなりの部分に、事実の投影が見られる。登場人物も、文壇・詩壇の関係者などは、実名で記されている。
伊藤は、小樽から上京し、東京商科大学(現在の一橋大学の前身)に入学する。「その時、私は数え年で二十四歳になっていた」とある。上京後、北川冬彦に紹介された下宿屋で出会った梶井基次郎との交流が、この本の最終章「詩人たちとの出会い」に描かれていて、そこがまことに興味深い。
梶井は、伊藤に、ボードレールの散文詩の話をする。退屈な日々を送る詩人が、扉口を出ようとする硝子(がらす)売りの背中に、階上の窓からインキ壺を投げつける。硝子売りの背負っていた色とりどりの硝子、赤や黄や青の硝子は、粉々に割れてあたりに飛び散る。そのさまを見て、詩人は初めて生きる喜びを感じる。
梶井の話に魅了された伊藤は、さっそくその詩を探し出す。ところが、硝子売りが持っていたのは普通の透明硝子で、それが飛び散ったに過ぎない。そこで、伊藤は、本物のボードレールよりも、梶井の語るボードレールの方が、ずっと美しいことに気づく。「ボードレールがつまらないように思われた」というのが、そこでの感想になる。
梶井はさらに「伊豆で考えた空想的なテーマ」について、伊藤に話す。散文詩「桜の樹の下には」の原型ともいうべきテーマである。桜の樹の下には、いろいろの動物の死骸が埋まっており、その死骸にからみつく毛細管を通じて、死骸の養分は、桜の根から幹(みき)へ、そして枝から花へと送られていく。その様子が、透明になった地面の下や根や幹を通して、ありありと見える。「でなければ、あんなに桜の花が美しいわけはないんだ」。――梶井の話に、伊藤は圧倒される。
ここを読んで、私もまた、大きな衝撃を受けた。戦慄といってもよい。高校一年の時のことである。この箇所を含む「詩人たちとの出会い」の後半部分は、当時、教科書(『現代国語 一』、大日本図書)に収載されており、それを読んだのである。
そこで、梶井の「桜の樹の下には」を探して、読んでみた。ところが、まったくおもしろくない。むしろがっかりした。散文詩でなく、掌編小説と見る向きもあるように、「桜の樹の下には」は、説明が過剰すぎる。長すぎる。梶井の熱のこもった語り口を、そのままに写し取ったかのような、伊藤の簡明な描写の方が、印象はずっと鮮明である。ならばこれは、皮肉めいてはいるが、ボードレールの話とどこか相似形なのではあるまいか。
もう一つ、同じように感じた別の経験がある。私は、大学時代、狂言研究会に所属していた。部誌があり、会員は何を書いてもよかった。その古い号に、大先輩のK氏(後年、感染症研究のエキスパートになられた)が、サン=テグジュペリの小説『星の王子さま』についてのエッセイを載せていた。内容の簡単な紹介があり、いたく興味をそそられたので、内藤濯(ないとう・あろう)の訳を読んでみた。ところが、まったくおもしろくない。K氏のエッセイの方が、ずっと魅力がある。何とも不思議なことだが、そこにこめられたK氏の思い入れが、あるいはK氏のロマンチシズムが、そうした魅力を生み出したのかもしれない。
伊藤整の場合、K氏の場合、ここで述べたことは、どちらも市古先生の講義のおもしろさとつながるところがありはしないか。文学作品を享受することの奥の深さというべきかもしれない。
なお、伊藤整は、東京商科大学で、内藤濯の教え子だった。