最近、頭から「おおブレネリ」のメロディが消えない。その理由は、どうやら毎朝聴いている、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」のCMに、その替え歌が用いられているかららしい。相続のための税理士を紹介する会社のCMで、替え歌の歌詞もそれに合わせて作り替えられているのだが、私の頭から消えないのは、ちゃんとした歌詞の「おおブレネリ」である。
前から思うのだが、この歌詞は、どこか違和感が残る。「あなたのおうちはどこ」という問いかけに対して、ブレネリは「私のおうちは スイッツァランドよ きれいな湖水(こすい)のほとりなのよ」と答えるのだが、その答えがどうもしっくりとしない。「おうち」という幼児語に対して、いかにも文語的な「湖水(こすい)のほとり」という言葉が現れるのは、やはり感覚的におかしい。
この歌詞は、そもそもスイス生まれの童謡の英訳をもとに、日本レクリエーション協会の会長だった松田稔が作詞したとされる。そこで、そのもとになった英訳を見ると、
O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your home?
My home it is in Switzerland, It's made of wood and stone.
とあるらしい(以上、worldfolksong.comの「おおブレネリ 歌詞の意味・謎」による)。
ならば、「きれいな湖水のほとりなのよ」は、松田氏の創作箇所になる。「木と石のおうちよ」では、風情がなさすぎると考えたのかもしれない。だが、それが、結果として違和感を覚えさせることになったのは、何とも皮肉というほかはない。
もっと違和感を覚える歌詞もある。それは、大昔も大昔の、私の小学校の校歌の歌詞である。
私の小学校は、世田谷区立赤堤小学校という。団塊の世代の時代、近隣の小学校が大幅な定員過多になったため、昭和28年(1953)、急遽設置された。新入生を受け入れるだけでなく、近隣の小学校に在籍している生徒の一部も、学区域を編成し直して、この新設校に転校させた。私は設置から二年後の、昭和30年の入学になるが、右のような事情があるので、卒業生の年次としては第七期になる。
私の入学時でも、急造の木造校舎は未完の状態で、記憶が確かなら、入学の当初は教室が足りず、午前、午後の二部授業を行っていたように思う。体育館などもなく、卒業式は校庭に椅子を並べて行った。雨が降ったらどうしたのだろうと思う。学芸会も、近隣の小学校の体育館を借りて行った。有島武郎「一房の葡萄」の「僕」を演じた写真が残っている。
そんな新設校、赤堤小学校の校歌は、どうやら昭和29年7月に制定されたらしい。歌詞は、三番まである。一番ずつ紹介しながら、どこに違和感を覚えたのかを記してみたい。
一
朝雲明かる赤堤
たのしくわれら集(つど)いたり
み空のひばり若ざくら
学びの道にいそしまん
ああ望みにみつる春秋よ
冒頭の「朝雲明かる」がおかしい。「朝雲」は、文字通りの朝の雲で、そこに曙光が射すさまを描こうとしたのだろうが、朝雲が赤く染まるという意味だとすると、印象としてはむしろ暗くなる。「朝雲暮雨」のような例もあったりするからである。雨の連想がはたらく「朝焼け」のような像も思い浮かんでしまう。「朝雲」を頭に置いたのが、そもそもの間違いなのではあるまいか。
「み空のひばり若ざくら」はさらにひどい。陳腐な春の景物を並べただけで、何の展開もない。小学生の頃は、歌手の「美空ひばり」を思い浮かべたものである(この当時、すでに全国的な人気を得ていた)。つまりは、その程度の発想に過ぎない。
「学びの道にいそしまん」は、さして問題はないが、小学生の頃は、海苔の佃煮の「礒じまん」を連想していた。実際にも、ふざけてそのように歌ったりもしていた。これは私だけではない。
二
清けき流れ多摩川に
漱(すす)ぎてわれら生い立てり
雪にも折れぬ青竹と
正しく直く伸びゆかん
ああ望みにみつる春秋よ
この歌詞の冒頭は、ひょっとすると歴史的(大げさだが)な意味をもつかもしれない。当時、多摩川の小田急線の鉄橋の下あたりは遊泳のできる場所とされ、私も何度かそこで水遊びをしたことがあるからである。
ただ、その後の「青竹」の比喩は、やはり陳腐である。夏の水浴を出したので、「青竹」の雪を冬の景として示そうとしたのかもしれない。
三
夕虹映ゆる富士が嶺(ね)の
気高くわれら睦(むつ)みたり
明るき牧場(まきば)あさ緑
世界の友を愛(いと)しまん
ああ望みにみつる春秋よ
冒頭の「夕虹映ゆる」もおかしい。一番の「朝雲」と対比する意図があって「夕虹」としたのだろうが、「虹」は、古来、不吉な印象をもつ。「夕映えの富士」ならともかくも、ここでもやはり違和感を拭えない。富士山の気高さはよいとしても、それがどうして「睦む」と結びつくのだろう。
「明るき牧場(まきば)」も唐突である。もっとも、小学校の裏手には、当時、都内最後の牧場(ぼくじょう)とされた四谷軒牧場(よつやけんぼくじょう)があったから、それをここに入れたのだろう。それゆえここも歴史的な意味をもつのかもしれない。とはいえ、その牧場(まきば)の景が、どうして「世界の友を愛しまん」に繋がっていくのか。お題目としてはそれでいいが、文脈としては支離滅裂である。つまり一貫した像を結ぶことができない。歌詞としては大きな欠陥であろう。
この校歌の作詞者は、大木惇夫。合唱曲「大地讃頌」の作詞者として知られている。それゆえ、その力量はそこそこに認められてはいたのだろうが、この校歌に限って言うなら、余りにもお粗末というほかない。
この校歌への違和感は、ぼんやりとした感じでずっと抱いてはいたものの、それがはっきりとしたのは高校生の頃である。「おおブレネリ」にからめて、いまあらためてそれを明確にしてみた次第である。