研究

「今日さま」

投稿日:2025年12月16日 更新日:

この直前のブログ「「きょう」か「こんにち」か」の最後に、「今日(こんにち)さまに済まない」という言い回しがあることを、付け足りのように述べておいた。
その「今日さま」という言葉を辞書で調べてみたら、その説明にいささか疑問を覚えた。それを以下に書いてみる。

「今日さま」について、どの辞書も等し並みに「太陽を敬って呼ぶ語。おてんとうさま」(『日本国語大辞典』)、「(その日を守る神の意)太陽のこと。天道さま」(『広辞苑』)のように説明する。つまりは太陽のことだというのである。和英辞典の「今日さま」にも、訳語として“the sun god”(『新英和大辞典』)などとあるから、やはり「今日さま」を太陽を神と見る言葉として捉えていることがわかる。

だが、こうした辞書の説明ははたして適切なのだろうか。私が子供の頃には、なるほど朝日に向かって手を合わせる年寄りがいた。富士登山などでは、御来光を仰いだりするから、この伝統はいまもなお残されているのだろう。
その場合の太陽は、当然ながら、お日さまであり、お天道さまと呼ばれる。日々の平穏無事を加護してくれるという思いがあるから、そのように呼ばれるのだろう。登山の場合なら、安全を保証してくれるという意味もあるだろう。広い意味では、なるほど太陽を神と見ていることになる。広い意味という限定を付したのは、お日さま、お天道さまという言い方は、天体としての太陽とは、捉え方の違いがあるからである。

「今日さま」の場合は、もっと違う。辞書は同じだと説明するのだが、「お天道さま」と同じに捉えることには無理がある。もっとも、「今日さまに済まない」「お天道さまに済まない」という類似の言い回しはある。ただ、「今日さま」という場合には、今日この日を無事に生かしてくれている外部の何か大きな力、「お天道さま」とは違ったレベルでの大きな力への敬意があるように思う。お日様やお天道さまがそこに意識されているのは確かだとしても、「今日さま」という言い方には、それらとは違った意味合いが含まれている。外部の何か大きな力と記したが、「今日さま」とは、私たちを包み込むそうした力、どこか漠とした大きな力に守られることで、今日もまたこの世に無事に生かしてもらっていることへの感謝の念が込められた言葉なのではあるまいか。さらにいえば、この言葉の背後には、人が、古代からずっと持ち続けた受動的な世界像があるようにも思われる。そもそも人は、外界に対していつも受動的だった。どんなに科学技術が進んでも、結局のところ、人は外界によって生かされている存在に過ぎない。これはいまも変わらない。

「今日さま」は、さほど古い言葉ではないらしい。『日本国語大辞典』でも、夏目漱石あたりの作がその初出例として示されているから、明治以降の言葉と見てよいかと思う。もっとも、「今日さまに済まない」という言い回しは、落語などにも出て来るから、近世末あたりくらいから現れた言葉なのかもしれない。

ただ、右に記したことからも、「今日さま」の辞書の説明はやはり不十分だと思う。「太陽を敬って呼ぶ語」というのは誤りとはいえないが、この言葉のありようをきちんと捉えているとはとても思えない。辞書の説明は、言葉の背後にある世界像にまできちんと踏み込まなければならない。

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