知人のKさんから、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の東大講義録が、実におもしろいと聞いたので、さっそく取り寄せて読んで見た。『小泉八雲 東大講義録』(池田雅之編訳、角川ソフィア文庫)である。副題に「日本文学の未来のために」とあるのは、巻末の最終講義のタイトルを、そのまま利用したのだろう。1915、1917年に、アメリカで刊行された講義録から16篇を精選し、テーマ別に四部に分けて配列している。
かつての大学には、講義録というものが存在した。講義の場で、教員は、講義ノートを読み上げる。学生は、ひたすらそれを筆記した。ゆっくり読み上げるので、筆記に支障はなかったらしい。その講義ノートを作成することが、教員にとっての最も大きな仕事だった。それゆえ、聴講する学生(優秀な学生でないとだめだが)の筆記したノートを集めれば、立派に講義ノートが復元できた。有名教員の場合は、そうして復元したものを謄写して、大学前の書店などで販売したりした。それが、一般に講義録と呼ばれるものになる。授業をサボる学生だけでなく、学問に関心のある一般市民も購入したらしい。
加藤守雄『わが師 折口信夫』を見ると、折口の推挽(すいばん)で國學院大學で講義することになった加藤の講義ノートを、折口が口述して作成させる場面が出てきて、実に興味深い。加藤の実際の講義を折口も聴講し、ノートを取っていたとある。加藤の口を借りてはいるが、その内容は折口自身のものだから、滑稽といえば滑稽である。
折口ついでに申せば、「折口信夫全集」のノート篇は、折口の講義録の集成である。池田彌三郎などが筆記したノートが、その底本になっている。
講義ノートを読み上げる形の授業は、東大では、大学闘争(1968年)を契機に、姿を消した。私の二年先輩のH氏から耳にしたことだが、市古貞次先生の講義は、闘争前はノートを読み上げる形だったという。一度は、こうした授業を経験したかったと、とても残念に思っている。
そこで、八雲の講義録だが、「解説」によると、完璧な講義ノートを作成したのではなかったらしい。メモをもとに、講義をしたという。しかし、学生が筆記しやすいように、ゆっくりと講義を進めたらしい。むろん、英語である。アメリカで刊行された講義録も、それを聴講した複数の学生のノートが底本になっている。
八雲が、東大(東京帝国大学文科大学)で講義をおこなったのは、1896年(明治29年)から1903年(明治36年)までの七年間である。英文科の講師として、英文学や西洋文化についての講義をおこなった。その後任が、夏目漱石であるのは、周知の事実かと思う。
そこで、この講義録だが、百二十前のものとは思えない瑞々(みずみず)しさがある。八雲の豊富な読書体験を背景にした、きわめて実践的な講義であり、その出自のゆえもあろうが(母がギリシア人)、ギリシア神話への言及も少なくない。もっとも、ヨーロッパ文学の根源は、ギリシアにあるから、出自云々は、それほど意味をもたないのかもしれない。
作家としての感性があらゆるところに現れており、柔軟な語り口と相俟(あいま)って、日本語訳を通してのことではあるが、実に魅力的な文体であることがわかる。
それ以上に注視すべきは、聴き手の学生たちに対するつよい信頼感を、八雲が抱いていることである。知的な意味での信頼感である。もとより、それは、八雲その人が、文学の価値をつよく信じているためでもある。
そもそも、当時の東大の学生たちは、真の意味で、選ばれた存在だった。いまの学生たちとは、まったく比較にならない。その大半が、図抜けた能力、資質を備えていた。そうした学生たちへの知的な信頼感を前提に、八雲は講義を進めている。彼らが、いずれ日本の将来の文化活動を主導する存在になることを確信し、それに資する意味を、八雲はこの講義に与えようとしている。
八雲がしばしば、日本文学の将来について語っているのは、そのためでもある。冒頭にも述べたが、この講義録の副題、それは八雲の最終講義のタイトルでもあるが、それが「日本文学の未来について」であるのは、それを端的に示す。その未来の文学が、ロマン主義に根ざしたものであることは、八雲の資質に見合っている。八雲は、文学を至高の芸術であるとし、何よりもその情緒を尊ぶ。その十全なあり方は、古典主義ではなく、ロマン主義によって表現されうるとする。超自然的なもの、夢などに対する関心がつよく現れていることも、八雲らしさの現れといえるだろう。
とはいえ、右に述べたような、学生に寄せる知的な信頼感、その前提として文学の価値を信ずることは、現在では、とりわけこの日本においては、なかなか難しくなっている。
一口にいえば、いまの日本においては、八雲が拠って立つような立場、知的な信頼感を醸成するための教養主義が成り立たなくなってしまったからである。人文知の世界が成り立たなくなった、と言い換えてもよい。
日本の戦後、とりわけ高度成長期以降に出現した大衆化社会、それを根源とする悪平等の蔓延が、それを決定づけた。実学優先による、大学の質の大幅な低下、人文知軽視の流れについては、いまさら申し述べるまでもない。学生たちの退嬰的(たいえいてき)な傾向は、昨今ますます顕著になりつつある。
八雲は、日本文学の未来に大きな期待を表明したが、しかし、いまの若い作家たちの書く小説は、ほぼ個人的な体験に終始するようなものばかり。どう見ても、下手な感想文に過ぎない。八雲が、個人的なものから離れなければ、価値ある文学とはなりえない、と述べていることも(178頁)、思い合わされる。いまの若い作家たちもまた、教養主義とは総じて無縁である。はっきり言えば教養がない。
人文知の世界が崩れ去ってしまったいま、この講義録を読むと、あたかも一つの夢の時代が存在したかのように思われてくる。人文知の世界を、再び築き直すことができるのかどうか。その困難さを改めて認識させられた。
この講義録を読んで、興味深く感じたところを、いくつか述べておく。
①第二章「文学における超自然的なもの」を読むことで、八雲の興味がどこにあるかがわかり、実におもしろく感じた。ギリシアの汎神論的な世界像の問題、樹の精の話、妖精の信仰の問題等々、日本の古典の世界との関係について、おのずと連想が及んだ。赤ん坊の顔の変化にまつわる恐ろしい迷信を歌った詩「チェンジリング」の背景について述べたあたり(137頁以下)も、戦慄を覚えさせる内容だが、どこか日本の説話文学の世界につながるようなところがある。
②八雲は、「文体」とは、思考を意味する、とする(178頁)。「文体」は、個人個人の性格の相違に起因する、とも述べている(243頁)。これは、私の「文体」の理解に近い。それで、頷(うなづ)きつつここを読んだ。
③古典と呼ばれる文学作品の価値は、偉大な批評家の一時的な評価の結果ではなく、幾百年にわたる国民大衆の意見の集積の結果であるとする(194頁)。この箇所は、先の私の意見、いまの大衆化社会の愚劣さへの批判と、どこか対立するもののように見える。なるほど、日本の古典の場合も、近世庶民文化を背負うものが少なくない。古典芸能についても、同様だろう。
だが、日本の場合は、近世庶民の文化的な水準の高さを思うべきだろう。庶民層に到るまで学問への関心が広がったのが、近世という時代だった。そこを見過ごすと、大きく誤ることになる。いまの大衆化社会のありようとは、大きく異なる。
さらに、八雲の論をよく見ると、国民大衆の意見を集積し、その結果を正しく導くような知識人の存在が前提にされていることがわかる。やはり、八雲にとって、導き手としての知的エリート層の存在は、自明のものとして、その論の前提に置かれていることがわかる。ならば、これもまた、悪平等の蔓延するいまの日本の状況とは大きく異なることになる。
日本文学の未来は、果たしてあるのかどうか。それへの危惧は増すばかりだが、この本自体は、まことに魅力的な内容をもっている。この存在を教えてくれたKさんに改めて感謝する。