齢(よわい)を重ねるごとに医者通いが増えていく。定期的に通っているところだけでも、虎の門病院、東京医療センター、大塚の脳神経外科、四谷の眼科、それに三鷹の手外科。薬も処方してもらっているから、診察の後は必ず薬局に立ち寄る。
医療機関にしても、薬局にしても、昨今はまず「マイナ保険証」をお持ちですかと尋ねられる。マイナンバー・カードは、数年前、やむを得ざる事情があって入手はしたが、導入のいきさつからして、釈然としないカードなので、いまも机の引き出しの中に入れたままである。だから「持っていない」と答えて、代わりに「後期高齢者医療費資格確認書」を提示する。
「マイナ保険証」だが、カードのICチップは多様な用い方が可能だから、それで健康保険証の代用にしようと誰かが考え付いたのだろう。デジタル庁とやらも創設されたから、そのあたりの発案かもしれない。
「マイナ保険証」をなぜ嫌うのか。マイナンバー・カード導入のいきさつもあるが、最も大きな理由は、デジタル庁の大臣であった河野太郎の高飛車な物言いがきわめて不愉快だったからである。なぜあんな物言いができるのか。河野家三代目のボンボン育ちの愚劣さを見せつけられたようで、それですっかり「マイナ保険証」が厭になった。
太郎の祖父の河野一郎は、実力者と目されながらも、どちらかといえば自民党内では反主流派の立場にいて、ついに首相の座には着けなかった。その子の洋平もまた反主流派の立場であり、一時期新自由クラブを起こしたり、復党後は自民党総裁になりはしたものの、やはり首相の座には着けなかった。しかし、孫の太郎になると、親の姿をいつも見ていた洋平とは違って、初手から三代目の苦労知らず。だから、謙虚さがなく、自ずと傲岸不遜の態度になるのだろう。あの高飛車な物言いはそこから発している。
それが実に不愉快なので、「マイナ保険証」は、当分持たないつもりである。ただ、世の趨勢にはどうやっても抗し得ないから、世間の八割近くがそれに移行するようになったら、やむなく利用することになるのかもしれない。
「マイナ保険証」の利点として、処方された薬剤データがそこに記録されることが挙げられている。「お薬手帳」のデータが、そのままICチップに記録され、医療機関や薬局などでは、それを読み取ることができるというのだろう。あるいはそのデータはcloud化されているのかもしれない。とはいえ、そこにいくら記録が残っても、専用の機器がないと読み取れないから、一般家庭では何の役にも立たない。ならば「お薬手帳」はやはり必備であろう。
わが家では、処方された薬剤がどんなものかを知るために、薬剤についての詳細な情報を記した『今日の治療薬』という本を、何年置きかに購入している。どんな医療機関や薬局でも、必ず備えてあるはずの本である。効能や副作用について詳しく記されている。だから、わが家でも、新たな薬剤が処方されると、いつも該当箇所を参照している。もっとも、以前のブログにも書いたように、一昨年、柴胡加竜骨牡蠣湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)の副作用で重篤な間質性肺炎に罹患した際は、そこをよく読んでいなかった。あとで見たら、たしかに重大な副作用として、間質性肺炎の名が挙げられていた。
そんなことで、『今日の治療薬』を手許に置いていつも参照しているのだが、実のところ、この書名を何と読むのかがわからない。「今日」を「きょう」と読むのか「こんにち」と読むのかが、一向にわからないのである。「きょうの」なら、本日ただいま処方する薬剤という意味になるが、「こんにちの」なら、この頃の、現在の薬剤という意味になる。数日前、大塚の薬局の薬剤師に尋ねたら、「私は「こんにちの」だと思います」という答えだった。本そのものにも、読み方は示されていない。末尾には、英文書名として「Today's Drug Therapy」と記されているのだが、英語のTodayにも「きょう」「こんにち」両用の意味があるから、そこからではわからない。発行元の南江堂のHPを見たが、そこでもわからない。その書名検索欄で試してみたら、「きょう」「こんにち」のいずれを入力してもこの本にたどり着く。発行元に直接尋ねればいいのだろうが、さすがにそんなつまらぬことはできない。国立国会図書館では、「こんにち」で登録されているらしいから、正式には「こんにち」なのかもしれない。とはいえ、書名の読みとしてはやはり紛らわしい。
こんなことを書いていたら、突然「今日(こんにち)さま」という言葉があったことを思い出した。「今日さまに済まない」などという言い回しは、いつ頃まであったのか。