Yahooなどの画面を見ていると、「意外と高学歴の芸能人」などという配信記事が時折あったりする。その芸能人が、どんな大学を卒業したのかが記されたりするのだが、中には○○大学の××学科を「首席」で卒業しました、などと紹介されていることがある。その大学を卒業したのは事実ではあろうが、「首席」で卒業したというのは、どこか信用できないところがある。東大の文学部の某学科を「首席」で卒業したというタレントの紹介記事もあったが、私の知る限り、昭和40年代以降、東大の文学部において、卒業成績に序列を付けていたという話は、耳にしたことがない。学生の頃も、教員として勤務していた頃も、そんな序列などなかったはずである。
考えてみれば当たり前の話だが、文学部の成績は、履修科目ごとに点数で評価され、それを「優」「良」「可」「不可」の評語に当てはめた上で、学生にはその評語のみが示される。点数が示されることは基本的にはない。その場合、点数をもとにして序列を定めることは、まず出来ない。履修科目は学生それぞれでまったく異なっており、取得単位数も同じではないからである。すべての履修単位の平均点を出したところで、そこに積極的な意味を認めることはできない。学生の成績の序列は、教員ですら把握できていないのだから、学生がそれを知ることなどありえない。「首席」で卒業という文言を疑う理由はそこにある。
もっとも、歴史を遡ると、これは東大(東京帝国大学)の話だが、文学部の国文学科(いまはこの名称の学科は存在しない)の最初期の時代には、卒業生の序列が成績順に示されていたこともあった。卒業成績最上位の「首席」がいたことになる。
国文学科には二年ごとに刊行される「卒業生名簿」があるが、これが実に興味深い。明治19年の最初の卒業生から、現在に至るまでの卒業生の氏名が、卒業年ごとに並べられているのだが、その順序は五十音順である。ところが、大正7年まではそうではない。卒業成績の順である。最初に名前があるのが「首席」ということになる。芳賀矢一、藤岡作太郎、藤村作、吉沢義則、坂元三郎(雪鳥)、次田潤、高木市之助、島津久基、岡崎義恵、斎藤清衛といった錚々たる名が並ぶ。天皇から銀時計が下賜される銀時計組ということになるのだろう(卒業式には天皇も臨席した)。
大正8年の卒業生に久松潜一がいるが、「名簿」はこの年から五十音順の配列に改められており、「首席」であったに違いない久松も、ハ行の位置に置かれている。銀時計の下賜は、どうやら大正7年が最後であったらしく、卒業成績の順に氏名を並べるのを止めたのも、そのことと関係しているのではあるまいか。それにしても、その順をどうやって定めていたのか、その方法は謎である(もっとも、先の錚々たる名を見ると、なるほどと納得されはするのだが)。
卒業成績の順を定めることは、あるいはその後も続いていたかもしれない。ただ、すでに述べたように、私が直接に知る昭和40年代以降、あるいは昭和30年代、ひょっとするとそれ以前から、それはもう無くなっていたと見てよいように思われる。
もっとも、法学部あたりでは、卒業成績の順を定めること、あるいはそれに類したことがずっと行われていた可能性がある。それというのも、真偽のほどは不明ながら、かつての国家公務員の上級職試験の合格者は、在学中の成績、「優」の数の多寡によって、振り分け先が決まると言われていたからである。当時は、大蔵省が各省庁のトップの位置にあり、そこに入省するためには、相応の成績が求められたとされる(入省の内定は卒業前だろうから、卒業成績そのものではないだろうが)。
実は、私も法学部の試験を受けたことがある。教養課程(教養学部)で「法学(憲法)」を履修しなかったため、教員免許を申請するには、法学部開講授業の単位を取得する必要があったからである。それでやむなく、小林直樹教授の「憲法第一部」を履修した。
驚いたのは、その試験の厳格さである。試験を受ける教室の外には、「憲法第一部試験場」のような看板が掲げられ、座席までが指定されていた。助手数名が試験監督となり、不正は一切許さない、というつよい姿勢が感じられた。まるで入学試験である。文学部の試験のいい加減さとは大違いで、ずいぶんと緊張した。苦し紛れの答案を書いて提出したのだが、どうにか「可」をもらうことができた。自慢めくが、私の場合、教養課程(教養学部)、学部を通じて、「優」と「良」しかもらったことがなく、これが唯一の「可」になる。
なぜ、法学部の試験が、これほどまでに厳格なのか。そこで、思ったのは、先の国家公務員の試験のように、法学部の成績がそのまま卒業後の地位に結びつくからなのだろう、ということである。
だから、ひょっとすると、法学部では、卒業成績の順を定めることも行われていたのかもしれない。もしそうなら、「首席」で卒業したということもありうる。法学部においては、授業科目選択の余地があまりなく、多くの学生がほぼ決まった科目を履修するような傾向がつよいから、卒業成績を序列化することは、案外とたやすく出来るのかもしれない。
とはいえ、多くの学部、とくに文学部のような学部においては、卒業成績を序列化し、「首席」を定めるというようなことは、東大に限らず、どこの大学でもやっていないのではあるまいか。それゆえ、冒頭に記したような疑問が浮かび上がるのである。果たして、実際はどうなのだろう。