雑感

百面相

投稿日:2024年5月24日 更新日:

男が年を重ねると、じじいになります。

先日、ある先生を偲ぶ会があり、そこに出席したのだが、後(あと)で幹事から、当日のスナップ写真が、たくさん送られてきた。
それを見ると、どれも呆れるほどのじじい顔である。笑った時の顔など、くしゃくしゃとして、皺だらけである。染みもひどい。
もちろん、そんなじじい顔に、突然なったわけではない。何年もかけて、いまの顔になった。

じじい顔になりつつあった頃、鏡を見ていて、ふと百面相をしてみようと思いついた。
やってみると、これがなかなかおもしろい。狂言の面(おもて)に似せることができないかと、試してみた。老人の象徴である尉(じょう)、さらには、賢徳(けんとく)、嘘吹(うそふき)など、どれもそっくりになる。武悪(ぶあく)にも、かなり似る。嘘吹は、いわゆるひょっとこである。うそふきの「うそ」は、口笛を意味する。

武悪の真似をしているうちに、大昔、これもある先生が、「笑い武悪」という渾名(あだな)でこっそり呼ばれていたことを思い出した。その先生の尊顔をいま思い返しても、これはなかなか言い得て妙だと思う。

いちばんよく似せることができたのは、狂言ではなく、能の面(おもて)の鬼女(きじょ)である。額の真ん中に皺を寄せ、口の端(はた)を左右一杯に引いて、睨(にら)むような目つきをすると、鬼女そっくりになる。小さな孫に、その顔を見せたら、怖がって逃げていった。

そこで思ったことだが、狂言にせよ能にせよ、面(おもて)は、人間の表情――皺のありようを含めたその表情を、実によく写し取っているということである。百面相をやってみて、それがよくわかった。だから、じじい顔にも、学ぶところがある。

面(おもて)に触れたついでに一言。大昔、狂言を習っていた頃には、面を着けて演ずる機会も、時折はあった。面を着けると、視野が極端に狭められる。実際の目と合うのは、通常は片目のみだから、その片目で居場所を確かめなければならない。武悪のように、鼻の穴が大きく開いた面は、鼻の穴からも外が見えるから、視野はむしろ広くなる。
視野以上に困るのは、面を着けると、酸素不足になることである。面を着けて激しく動くと、立ちどころに呼吸困難に陥る。その苦しさは、経験した者でないとわからないだろう。

このブログでは、写真を載せないことにしているので、こういう時は、実に困る。私の顔と、面(おもて)の写真を一緒に載せれば、その相似は一目瞭然なのだが。

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