ずいぶん以前、大学生を主たる対象とする、日本文学史の概説書を刊行する企画があり、上代の部分を、私が担当することになった。早くに私は原稿を提出したのだが、他の時代の原稿がなかなか集まらない。それで、とうとう企画そのものが頓挫してしまった。
私の原稿は、いわば宙に浮いてしまったわけだが、概説書の一部だから、ほかに利用するすべなど見つからない。それで、ずっと篋底に秘めたままにしていた。
ただ、このままにしておくのも気持ちが悪いので、このブログに載せることにした。昨秋、死にかけたことも、その理由の一つになるのかもしれない。
表題を「上代文学史稿」としたが、これは実のところなかなか大それた名である。いまや知る人ぞ知るなのかもしれないが、益田勝実氏に「「上代文学史稿」案」(『日本文学史研究』に連載)と題する、すぐれた文学史があるからである。ただ、私の「稿」は、文字どおりの「草稿」の意味に他ならない。三回に分けて掲載する。
1 文学の発生
●文学の発生
文学の発生を問題とする時、その文学の言葉とは、日常の言葉を指すのではない。なぜなら、日常の言葉のもつ実用的な伝達性は、文学の特質である時空を超えた普遍性、言い換えれば保存されるべき価値とは対立するからである。このことは、文学が非日常的な言葉であることを意味する。そこで、その非日常的な言葉を要請する場について検討することが、文学の発生を問うことになる。
文学の発生の契機についてはいくつかの説があるが、中でもっとも重要なのは、共同体の祭式の場にそれを見出そうとする信仰起源説である。祭式は、共同体の成員の共同幻想によって支えられていた。祭式は、共同体の祭りの場に神を迎え、その霊威によって共同体に降りかかる危機を幻想的に乗り越えようとする行為である。祭式の場の表現は、共同体の成員一人ひとりに一種の陶酔をもたらし、集団としての合一を生み出した。その表現は、人びとを特別な体験へと誘う、日常的な制約を打ち破る力を具えるものでなければならなかった。
祭式の場の表現は、音楽・舞踊など、言語表現にかぎらず、さまざまにありえたはずである。しかし、共同体が統合・再編されていく過程の中で、それらの表現も大きく変質していく。言語表現についていえば、より高次な祭式の祭式言語としてまとめられていく一方で、その一部は祭式の場から離れ、民間の伝誦として伝えられていくことになる。
祭式の場の表現はむろんだが、民間の伝誦として自立した言語表現の姿は、直接に知ることはできない。それらは、現在残る文献資料から推測するほかはない。だが、その表現は、まず一定の普遍性を有していただろうこと、またもともと祭式の場を根拠としていたがゆえに、非日常的な特徴を具えていただろうことが想像できる。その非日常的な特徴に宿る言葉の呪力が、祭式の場を離れてもなお表現の普遍性を保証したのである。
●言葉の呪力と様式
言葉の呪力は、しばしば言霊(ことだま)という概念によって説明される。言霊とは言葉に宿る神秘な力のことで、具体的にはコト(事)とコト(言)との同一性の現れとして考えられている。口に出して言い立てた言葉は、そのまま事実として発現するという、言葉の不思議な働きが言霊の現れとして信じられたのである。コト(事)とコト(言)との同一性への信仰は、言葉が外界の事象を対象化し、さらにはそれを抽象化することのできる、その作用にもとづいている。
一例として「祈年祭(としごひのまつり)」の祝詞をながめてみよう。祈年祭は、毎年二月四日に農作物の豊穣を祈るために行われる祭で、この祝詞はその際に唱えられる。以下は、その一部である。
皇神等(すめかみたち)の依さしまつらむ奥(おき)つ御年(みとし)を、手肱(たなひぢ)に水沫(みなわ)画(か)き垂(た)り、向股(むかもも)に泥(ひぢ)画き寄せて、取り作らむ奥つ御年を、八束穂(やつかほ)の茂(いか)し穂に、皇神等の依さしまつらば、初穂をば、千穎(ちかひ)八百穎(やほかひ)に奉(たてまつ)り置きて、瓺(みか)の上(へ)高知(たかし)り、瓺(みか)の腹満(み)て双(なら)べて、汁にも穎(かひ)にも称辞(たたへごと)竟(を)へまつらむ。
ここには、神意によって豊かな稲の実りが約束されることが示されている。そこにつよい祝福性が見られる。しかし、注意すべきは、ここに田植えから収穫までの一年の時間が抽象化されて表現されていることである。稲作の過程を、あらかじめ言葉によって実修し、それが現実の結果となって現れることが期待されている。このことは、祝詞の言葉がもう一つの現実を作り出しているということでもあろう。それが、コト(事)とコト(言)との同一性であり、それを生み出す言葉の不思議な働きが、言霊の現れとして信じられていたのである。
言葉のこうした不思議な働きは、どのような言葉にも認められていたわけではない。祭式の場に起源をもつ非日常的な言葉にのみ、そうした不思議な働きが感じ取られたのである。それでは、非日常的な言葉は日常的な言葉とどのような点が異なるのか。
もう一度「祈年祭」の祝詞を見てみよう。まず目につくのは、対句表現や称辞が多用されていることである。「手肱(たなひぢ)に水沫(みなわ)画(か)き垂(た)り/向股(むかもも)に泥(ひぢ)画き寄せて」「瓺(みか)の上(へ)高知(たかし)り/瓺(みか)の腹満(み)て双(なら)べて」は、基本的に対句と見てよいだろう。「八束穂(やつかほ)の茂(いか)し穂に」「千穎(ちかひ)八百穎(やほかひ)に」は、称辞の畳重ねであり、こうした言い回しは日常の言葉には現れない。
対句は、中国詩文の表現法の一つで、本来は、対立する概念を並べ合わせることで、より高次の世界を描き出す相当に高度な技法である。だが、日本の対句は、同一内容を別の言葉で言い換える、繰り返しが基本である。一方、称辞は文字通りタタエゴトであり、讃美の表現である。具体的には、日常の言葉に特殊な言葉を冠することで、それを日常世界から切り離し、聖なる表現に転化させる意味をもつ。「八束穂(やつかほ)の茂(いか)し穂に」「千穎(ちかひ)八百穎(やほかひ)に」の「八束」「茂し」「千」「八百」の表現がそれにあたる。ここでは、その称辞を畳重ねることで、祝福性を一段とつよめている。こうした称辞の畳重ねは、枕詞、さらには序詞の原型的なありかたを示している。
ここで、枕詞を含めて、右に述べた非日常的な言葉の特徴をよく具えた表現をながめてみたい。『古事記』に収められた歌謡である。
隠(こも)りくの 泊瀬の川の
上つ瀬に 斎杙(いくひ)を打ち
下つ瀬に 真杙(まくひ)を打ち
斎杙には 鏡を掛け
真杙には 真玉を掛け
真玉なす 吾(あ)が思(も)ふ妹
鏡なす 吾が思ふ妻
有りと 言はばこそよ
家にも行かめ 国をも偲(しの)はめ(記九〇)
この歌謡は、二行を一聯として叙事を進行させていく対句の形式をよく見せている。中間の三聯は、いずれも同内容の繰り返しであり、古代の非日常的な言葉の特徴をよく示している。「斎杙」「真杙」「真玉」の「斎」「真」はいずれも接頭辞で、下接する対象、すなわち「杙」や「玉」を聖なるものに転化する作用を示す。したがって、これらは称辞の表現と見ることができる。「隠りく」は、地名「泊瀬」に接続する枕詞である。泊瀬は谷間の地で、山ふところにすっぽりと抱かれたような空間であるがゆえに、古来、聖所と考えられた。そこで、その地を「隠りく」と言って讃めたのである。つまり、「隠りく」は「泊瀬」の属性であり、その意味では「隠りく」と「泊瀬」は等価であるともいえる。比喩的なつながりとも言えるが、畳重ねに等しいとも言える。このありかたは、先の「祈年祭」の祝詞の称辞の畳重ねに等しい。枕詞は、基本的には被枕に対して比喩的な関係を構成するが、その根本はこうした畳重ねにある。続く「真玉なす」「鏡なす」も、それぞれ「吾が思ふ妹」「吾が思ふ妻」と比喩関係を構成し、それによって「妹(妻)」を最高の価値をもつ「真玉」「鏡」と重ねることで讃美するから、枕詞と同様に考えることができる。これも広義の枕詞と見なしてよいだろう。
以上の、非日常的な言葉の特徴、繰り返しや称辞の畳重ねは、様式として把握することができる。これらの様式に支えられることで、表現は一定の普遍性を獲得し、祭式の場から離れた自立したありかたが保証されることになったと考えることができる。
●フルコトと韻律
共同体の語りの場で語り伝えられたと思しき詞章にフルコトと呼ばれるものがある。「古語」「古事」「旧辞」「故事」などと記されているが、何らかの固定的な傾向をもつ、権威ある、古くから伝えられた詞章のことである(注1)。古代の叙事文学はこのフルコトを基本に成立している。そのフルコトの表現の基本も、右に見た繰り返しや畳重ねの様式にある。一例をあげる。『出雲国風土記』の国引きの詞章である。
童女(をとめ)の胸鉏(むなすき)取らして、大魚(おふを)のきだ衝(つ)き別けて、はたすすき穂振り別けて、三身(みつみ)の綱うち挂(か)けて、霜黒葛(しもつづら)くるやくるやに、河船のもそろもそろに、国来(くにこ)国来と引き来(き)縫へる国は…。
出雲の巨人神が、遠くの地域から余った陸地を切り取って、出雲に引っぱり寄せたとする伝承の詞章である。「大魚のきだ衝き別けて/はたすすき穂振り別けて」「霜黒葛くるやくるやに/河船のもそろもそろに」は、繰り返しであり、また「童女の」「大魚のきだ」「はたすすき」「霜黒葛」「河船の」は、いずれも畳重ねによる枕詞的な表現である。とくに「はたすすき」は、ススキの「穂」と同音で、土地を切り分ける意のホフリ(屠り)に、「霜黒葛」は、霜にあたった葛の実の黒さから、やはり同音で「くるや(来るや)」に接続させているから、掛詞を利用した序詞に近いといえる。畳重ねは、比喩的な関係として把握しうるが、ここではさらに同音による接続をも含むことになる(注2)。フルコトもまた、繰り返しや畳重ねの様式に依拠していることがたしかめられる。
畳重ねによる表現は、独自の韻律を生み出している。韻律の基本は音数律だが、古代の非日常的な言葉の音数律は、短句+長句を単位とするものであったらしい。その場合、短句は長句と比喩関係を構成し、長句への讃美の意味をもつことになる。さらに、それを二行一聯で繰り返すことで叙事を進行させるのが、その表現のありかたであったと考えられる。先の「允恭記」の歌謡は、全体が五・七音によってまとめられているが、古代の音数律は、三音、四音、六音、八音など多様であり、必ずしも五音、七音によって統一されていたわけではないことに、注意する必要がある。
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注1 藤井貞和『物語文学成立史』、東京大学出版会、一九八七。
注2 近年、同音による接続を比喩的関係と捉え、これを「音喩」と名づける説もある(近藤信義『音喩論』、おうふう、一九九七)。なお、『歌経標式』は、古代和歌の表現の本質が比喩にあることを指摘する画期的な歌論だが、その比喩の概念は、一つの言葉が、他の言葉を引き出す言葉の連鎖にあるらしく、単なる比喩的関係を超えた把握である点で、大いに注目される。