退院以来、十時半就寝、五時半起床という生活を続けている。起床と書いたが、まずNHKのラジオのスイッチを入れ、それを聴きながら、しばらくは寝床の中でぐずぐずしている。
六時半になると、ラジオ体操が始まる。第一体操と第二体操があるが、私は第一体操しか知らない。子どもの頃は、夏休みになると、その時間に合わせて、近所の神社のラジオ体操に通った。当時は、どこでも夏休みのラジオ体操をやっていた。だから、それは、私くらいの年代には、共通の思い出なのかもしれない。
もっとも、私が通った神社のラジオ体操は、ちょっと変わっていた。「頭と身体のラジオ体操」という触れ込みで、体操が終わった後、さまざまな分野の来賓の講話があった。どうやら、町内会の会長の発案らしく、来賓を呼ぶ交渉も、その会長がやっていたようである。「水一杯も差し上げない、真の御奉仕による」というような文言が、ラジオ体操の予定を記した、案内チラシに印刷されていた。
来賓の講話は、だから完全な無料奉仕であったらしい。近隣の小学校の校長、警察署、消防署の署長とかの講話もあったが、著名な漫画家(杉浦幸雄だったような記憶があるが、往時渺茫、もはやわからない)や、変わったところでは、卓球の荻村伊智郎がやって来たこともあった。日本の卓球の黄金時代を代表する名選手である。この時は、卓球台が用意されて、子どもたちの相手もしてくれた。私も荻村選手の球を受けた。世界チャンピオンの球を受けたのだから、実に誇らしい気持ちになった。
この講話だが、「真の御奉仕」とあるように、謝礼は一切なかったらしい。著名人でも、「謝礼なし」と明言されると、こうした依頼は、案外と断りにくいものである。それが交渉術かもしれない。だが、それにしても、この町内会の会長の行動力は、いま思うと実にすばらしい。漢方薬局のご主人だったような気がする。
その神社でのラジオ体操も、第一体操だけだった。第二体操は、伴奏の音楽は知っているが、どんな体操なのか、まったくわからない。
そこで表題の「ラジオ体操の歌」である。NHKの朝のラジオ体操では、最初に「ラジオ体操の歌」が流れる。これも、大昔から耳にしていた。だから、慣れ親しんだ歌だが、よく聴いてみると、歌詞に気になるところがある。誤りがあるわけではないが、どこかしっくりしない。歌詞を記してみる。藤浦洸(ふじうら・こう)の作詞である。
新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開(ひら)け 大空あおげ
ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 一 二 三
情緒的に捉えれば、何の問題もない歌ではあるが、理詰めで考えると、わからないところが出て来る。
まず、二行目の「胸を開け」だが、その前の「喜びに」と、どう結びつくのか。「喜びとともに胸を開く」のか、あるいは「喜びに向けて胸を開く」のか。
これは、どちらでもいいのだが、三行目、四行目が、もっとややこしい類似の構文になっている。
三行目の「ラジオの声に」だが、これは「ラジオの声とともに」「ラジオの声にあわせて」――「健やかな胸を…開けよ」ということなのだろうか。もしそうなら、そこに「この香る風に」が割り込んでいることになる。そこもまた、二行目の「喜びに」と同じく、「香る風とともに胸を開けよ」あるいは「香る風に向けて胸を開けよ」の意なのだろう。
これとは、少し違った理解もできる。「ラジオの声に」は、まずは大前提としてあり、その上で「健やかな胸を」以下があると見ることもできる。この場合も、「この香る風に」以下は、「香る風とともに胸を開けよ」あるいはまた「香る風に向けて胸を開けよ」という理解になる。だが、それでは「ラジオの声に」が、どこか宙ぶらりんになるから、この「ラジオの声に」も、結局は「胸を開けよ」に結びつくのかもしれない。すると、「この香る風に」が割り込んでいるとする、先の理解と同じになる。いずれにしても、なかなかややこしい。
以上は、だから、屁理屈を捏(こ)ねているだけなのかもしれない。先にも述べたように、情緒的に捉えておけば、何の問題もないのだが。