雑感

歴史認識の差異

投稿日:

最近、いろいろなところで世代間の認識の違いを感じることが多くなった。一世代はほぼ30年を意味するようだが、いまはもっと幅が狭くなっている。さらに付け加えれば、私などの属する団塊の世代は、前後の世代からは、さまざまな意味で突出しているように思われる。

団塊の世代は、大学闘争を経験し、さらにはその挫折を体験した世代でもある。その複雑な屈折、さらにいえばその名残を引きずっているのが、この世代の大きな特徴になっている。
このブログでも、何度か述べたことだが、大学闘争の弾圧は、戦後民主主義の終焉を意味している。全体主義に傾きつつあるいまの状況は、ずっと遡れば、その弾圧が生み出した結果ともいえる。

つい先頃、「東アジア反日武装戦線」の一員だったと称する人物が、死の床で、その素性を明かしたという出来事があった。1970代初頭に、テロ活動を行ったとして指名手配され、半世紀近くも市井に身を潜めていたという。この人物が、テロ活動にどの程度かかわっていたのかは不明だが、いずれにしても、大学闘争の挫折、より具体的にいえば、権力を維持しようとする旧世代の側の徹底的な弾圧(ただし、国民の側が、この弾圧をこぞって容認したことは、認めておく必要がある)の一つの結果が、こうしたテロ活動を生んだことだけは間違いのない事実だろう。

この事件を報道した先日(2月2日)の「朝日新聞」の記事を見て、戸惑った。「桐島名乗る男 語った後悔」と題する記事だが、戸惑ったのは、そこに添えられた麻生幾氏の「時代へ「逆切れ」肯定できぬ」とある談話の内容である。麻生氏の名は、ここで初めて知った。

談話なので、割り引く必要はあるが、微妙な違和感をあちこちに感じた。麻生氏は、過激派によって引き起こされた当時の事件のいくつかを振り返りつつ、「世の中がひっくり返ってしまうのではないかという恐怖心があり、想像を絶する時代だった」とまとめている。談話の末尾では、この桐島と名乗る人物の死について触れ、「社会を恐怖のどん底に陥れた事件の真相が明らかにされずに男が亡くなったことは、大変残念だ」とも述べている。

だが、私の実感として、「世の中がひっくり返ってしまうのではないかという恐怖心」「社会を恐怖のどん底に陥れた事件」と言われると、それは少し違うのではないかと述べたくなる。当時は、そこまでの恐怖心は誰も抱かなかったはずだからである。
そこで、麻生氏について、wikipediaで調べてみた。1960年生まれの、ジャーナリスト、小説家とある。ならば、麻生氏にそう感じるところがあったにしても、たかだか少年時代の記憶に過ぎない。社会全体に及ぶ恐怖心を言うなら、少し後の、オウムの無差別テロの方が、もっと深刻だろう。

こうした過激派のテロ行為を、麻生氏が、「正しいことをやっているはずなのに分かってくれないと思い込み、極端な思想に走り「逆切れ」したのだと思う」というのも、誤ってはいないが、「逆切れ」の一言で片付けるのも(見出しにも、この言葉がある)、やはりどうかと思う。言葉が軽すぎるし、背景を知ることこそがむしろ重要だと考えるからである。ところが、麻生氏は、「当時の時代背景を学び、理解しようとするのは大切だが、事件を肯定するべきではない」と述べる。これも間違ってはいないが、この言い方では、前段部分が軽くなる。重要なのは、「当時の時代背景」をきちんと知ることだからである。麻生氏の談話には、その部分がすっぽり抜け落ちている。

なぜこのようなことを述べるのか。これも何度も論じてきたように、大学闘争は、戦後の「逆コース」を元に戻す恰好の機会でありえたからである。本来は、倫理を問う戦いであり、これを暴力革命を目指す左翼の闘争と捉えるのは、そうした流れが一部にあったことは否定しえないものの、全体として見れば、その理解は大きな誤りだからである。麻生氏の談話には、その視点が欠けている。

麻生氏の談話は、繰り返すように、誤っているというわけではない。とはいえ、右に述べたように、私などの世代との認識の差異は明瞭に存在する。こうした差異が積み重なると、より大きな歴史認識の齟齬を生むことになる。場合によっては、その相違はさらに重大な結果をもたらすことにもなる。そんな危惧を抱いたので、あえてこの一文を草したような次第である。

-雑感

Copyright© 多田一臣のブログ , 2024 AllRights Reserved.