研究

侍ジャパン?

投稿日:2023年11月17日 更新日:

以前から気になっていたことを記す。WBC(World Baseball Classic)の日本チームを、なぜ「侍ジャパン」と呼ぶのかである。

私などの世代では、「侍ジャパン」と聞くと、すぐに群司次郎正(ぐんじ・じろまさ)の小説「侍ニッポン」を連想する。より正確にいえば、その小説が映画化される際の主題歌「侍ニッポン」(西条八十作詞、松平信博作曲)を思い起こす。
大学闘争の渦中、この主題歌、とりわけその三番の歌詞は、当時の学生たちの抱いていたニヒルな心情といかにも呼応しており、それゆえ、私なども仲間と一緒によく歌ったものである。引用する。

きのう勤王あしたは佐幕(さばく) その日その日のできごころ どうせおいらは裏切り者よ やぼな大小落としざし

「その日その日のできごころ」「どうせおいらは裏切りものよ」のあたりに共感を覚えたのだろう。

小説「侍ニッポン」は、映画化を前提に刊行されたという。昭和6(1931)年のことである。この時も含め、五度にわたって(戦前二度、戦後三度)映画化されたというから、ずいぶんと人気を博した小説であったことがわかる。

この小説を読んだことがなかったので、読んでみた。もっとも、いまは古本でしか手に入らない。読んだのは、講談社の「大衆文学館 文庫コレクション」と銘打った文庫本シリーズの中の一冊である。平成9(1997)年の刊行である。

この文庫本で有り難かったかったのは、尾崎秀樹氏の「人と作品 群司次郎正」という懇切な解説が載せられていたことである。この作の生み出される背景がわかり、それがなかなか興味深かった。尾崎氏によれば、群司は、この作のヒントを、当時、群司のアパートに逃げ込んで来た共産党のシンパ、新納時千代(にいろ・ときちよ)の話から得たという。共産党のシンパでありながら、党の指令について行けず、党の地下活動から脱落していく姿(いうまでもなく、当時の共産党は非合法組織であり、そのシンパであっても、官憲に追われる立場であった)を、水戸の志士などの、井伊大老暗殺計画に置き換え、そこから本作の主人公を、仲間についていけない裏切り者にする、という筋書きを着想したのだという。主人公の名が新納鶴千代(にいろ・つるちよ)なのは、新納時千代の名の拝借である。
その「新納(にいろ)」だが、映画の主題歌では、「新納(しんのう)」と歌われている。これは、歌手の徳山璉(とくやま・たまき)が、読み誤ったためとされる。

しかし、この小説で重要なのは、主人公鶴千代が、「侍」という存在に対して、どこか否定的な心情をもち続けていることだろう。それが、「侍」=武士という存在に対する釈然としない意識、――「百姓土民をしぼってきさまたち(武士)のかってに作った世の中」こそが悪なのだとする意識が、そこに描かれていることからもわかる。それゆえ、鶴千代にとっては、勤王か佐幕か、開国か攘夷かは、さしたる問題とはならない(とりあえずは、勤王、開国に近い立場とはいえようが)。それは、尾崎氏が、

鶴千代は民衆による時代の変革を夢みながらも、その新しい思想を誰からも理解されず、武士階級のもつ固苦しい意識に反逆して、勤王派志士たちの動きにもついてゆけず、かといって恋に身をまかすこともできないままにニヒルな生き方をとおす姿を描いている。

と述べていることとも重なる。

なお、この小説は、初刊以後、作者による改編・改稿が何度かなされているらしい。文庫本の表紙には、大きく「大老井伊直弼の落胤新納鶴千代」とあるのだが、この文庫本では、そうした設定にはなっていない。鶴千代の母は、どうやら直弼の父、直中の側室であったように読めるし、鶴千代の妹の秋子(喜多の方)は、直弼の側室になっているからである。この設定からは、鶴千代、そしてその妹秋子を、直中あるいは直弼の子と見ることはできない。どちらにしても近親相姦の関係になるからである。ただし、鶴千代は、井伊家に勝手に上がり込める特権を持っているらしいから、そのあたりがよくわからない。しかも、直弼を「養父」と呼んでいたりする。初刊のあたりでは、直弼の落胤とされていたのかもしれない。なお、この文庫本の底本は、昭和48(1973)年刊の大衆文学大系23(講談社)とある。

もう一つ述べておけば、尾崎氏は、遠慮気味に「構成に多少の無理がみられるが」と書いているが、実のところ、「多少」どころではなく、あちこちに破綻が見られる。上に記した、井伊直弼との関係もそうだが、相思相愛の関係にあった恋人恵(菊姫)の首を、鶴千代が刎(は)ねて殺すという設定は、いくらそのニヒルさを強調する意図があるにしても、やはり不自然さが目立つ。ご都合主義と思われる場面も少なからずあり、映画化が前提であったとしても(映画は、そうした場面の不自然さを巧みに隠蔽できる)、小説としては不出来な作であるように思う。この本が、いまは古本でしか読めないこと、また最後の映画化が、半世紀以前の昔(昭和40(1965)年)であることも、そうしたところに理由があるだろう。

さて、このように見て来ると、WBCの「侍ジャパン」の命名意識がどうしても気になる。「侍ニッポン」は、むしろ「侍」という存在に対して、否定的だからである。そこには、ニヒルな影が感じ取られている。おそらく、「侍ジャパン」の命名者は、その主題歌も含め、「侍ニッポン」の存在すら知らないのだろう。私などより、ずっと若い世代に属しているに違いない。そんなこともあるので、私はWBCの日本チームを、「侍ジャパン」とは呼びたくない。

最後に、小説『侍ニッポン』を読んで学んだこと。塙保己一(はなわ・ほきいち)の四男、塙忠宝(はなわ・ただとみ)(次郎と通称)などが、幕府の命により、孝明天皇を廃するため、「承久故事」(承久の乱における、天皇の流廃の史実)を調べているとする巷説が広まり、ために勤王の志士(伊藤博文説がある)によって暗殺されたとする事件があったことを、この本から知った。塙忠宝(次郎)は、鶴千代の師だとある。こんな事件があったことは、不勉強ゆえではあるが、まったく知らなかった。

これも、感想に近い内容だが、とりあえずは「研究」に分類しておく。

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