以下が、主観だらけの、ほとんど顰蹙(ひんしゅく)ものの内容になるのは、十分承知している。ただ、どこかでこんな見方がある、ということを表明するためにも、あえて記してみる。だから異論・反論があることは、覚悟の前である。
数日前、NHKの「突撃!カネオくん」を見ていたら、バルセロナの大聖堂サグラダ・ファミリアを取り上げていた。スペインの建築家アントニオ・ガウディの未完の建築だが、その完成がそろそろ近づいているという。ガウディは、もはや現代建築家とはいえないが、いまだに建築中ということを考えれば、サグラダ・ファミリアを現代建築と見てもよいのではないかと思う。
これは少数意見には違いないが、私はサグラダ・ファミリアを、少しも美しいとは思わない。映像や写真でしか知らないが、過剰さが目立ち、実にグロテスクである。ホーエンツォルレン橋を前景にしたケルン大聖堂のような美しさはどこにもない。これを目当てに観光客がやって来るなど、およそ信じられない。
標題に掲げた内容は、そこからのさらなる連想である。いまの(日本の)現代建築家は、どうやら自分の設計した建築物を、後代に残すべき芸術作品と考えているらしい。その愚かさを、以前から感じることもあった。
ある公(おおやけ)の建物が、完成後、雨漏りがひどく、一部改修せざるをえなくなった。ところが、外観に手を着けてはならないとする契約が、それを設計した建築家との間になされており、それでなかなか雨漏りの修理ができずにいる、という話を耳にしたことがある。
おそらくは、自分の設計した建築は、後代に残すべき作品なのだから、それを一部でも毀損(きそん)するような行為は許さない、とする建築家の意志が、その背後にあるのだろう。
だが、建築物は、何よりも実用が目的である。実用に不便があれば、使う側の勝手で、どう改修しようと自由であるはずである。外観に手を着けてはならないというのは、建築家の思い上がりである。それが、後代に残すべき作品かどうかは、歴史(時間)がおのずと決めることだと思う。
これとは意味合いが違うが、建築家に対する不審を覚えたことが他にもあるので、これもついでに記しておく。
安藤忠雄といえば、現代を代表する世界的な建築家として知られている。ずいぶん前のことだが、私の知人のルール大学のS先生が、東大の私の研究室にやって来たことがある。その時、昂奮気味に話した第一声が、「いまそこで安藤忠雄と出会った」というもので、安藤の名声が、いかに世界に轟いているのかを、それで知った。当時、安藤は工学部建築学科の教授だったから、S先生が東大の構内で出会っても不思議はない。
ところが、私は、その安藤に不審を持っている。まことに些細なことには違いないが、その不審はいまも消えずに残っている。
東大の赤門から正門の方向に、本郷通りと並行するような通路がある。赤門の側から見て通路の右には綜合図書館、より正確にいえば、史料編纂所の古い建物がある。その真向かい、通路を隔てた反対側の細長い敷地に、本郷通りを背にして、2008年、これまた実に細長い建物が建てられた。敷地は、100✕15メートルほどという。情報学環(旧新聞研)の建物である。
その設計者が安藤忠雄である。ベネッセ・ホールディングスが建築資金を提供し、いまも福武ホールと呼ばれている。
問題は、その敷地である。かつてここには、本郷通りの喧騒を防ぐ意味もあって、多くの樹木が植えられていた。中には、めずらしい桜の木もあった(某先生の教示)。ところが、この福武ホール建設のため、もっとも本郷通りに近い一部を残して、みな切り倒されてしまった。
呆れ果てたのは、その福武ホールが、別に“Thinking Forest”と名のったことである。多くの樹木を切り倒して、何が“Forest”かと、当時思った。
さらに、馬鹿げたことだと思ったのは、その細長い建物の通路側に、目隠しのような長い屛を設置したことである。その意味がまったくわからない。この屛も、安藤の設計の一部だが、ここだけは自信をもって、無様(ぶざま)なありようだといえる。
以前なら、落書きで一杯になりそうな、そうでなければビラだらけになりそうな屛である。いまはさすがに、そうした狼藉(ろうぜき)は見られない。この横を通るたびに、私など、いつも「長い屛、つい小便がしたくなり」という句が、頭に浮かんだものである。
そんなこともあって、この福武ホールとやらには、自分の意志で足を踏み入れることはついにしなかった。だから、これも建築家への不審の一端になる。