昨日(9月10日)、「ナニコレ珍百景」というテレビ番組を見ていた。ある人形店の看板に記された「勉強で評判」という言葉が、いまの若い世代、――番組ではZ世代と言っていたが、そうした世代には、まったく意味が通じなくなっていることが紹介されていた。
「勉強」とは、むろん「値引きします、お安くしておきます」という意味である。なるほど、昨今あまり使われていない言葉かもしれない。
だが、なぜ「値引きすること」を「勉強」というのか。『日本国語大辞典』によれば、「勉強」という言葉が現れるようになるのは、どうやら近世以降のことらしい。しかも、いま用いられているような語義は、三番目に置かれている。そこには「将来のために学問や技術などを学ぶこと。学校の各教科や、体育・習字などの実用的な知識・技術を習い覚えこと。云々」とある。いま「勉強」といえば、たしかにこの意味になる。
では、一番目に挙げられているのは、どのような語義か。そこには「努力をして困難に立ち向かうこと。…励むこと。云々」とある。これは、いまの「勉強」の意味にもつながるところがありそうである。
そもそも漢字の「勉」だが、この字の構成要素の「免」は、分娩(ぶんべん)の「娩」の原字であり、「狭い産道からむりをおかして出る意を含む」という。それゆえ、「勉」には「むりをして力む意」があるという(藤堂明保・加納喜光編『学研 新漢和大字典』)。
そこで興味深いのは、『日本国語大辞典』が、二番目に挙げている語義である。そこには「気が進まないことを、しかたなしにすること」とある。ならば、これは、商品を値引きする意味に近づく。それゆえ、四番目として、「商品を安く売ること。商品を値引きして売ること」という語義が現れることになる。
現代中国語でも、「勉強(mianqiang)」は、「無理強いをする」あるいは「無理をしてやる。いやいやながらにやる」という意味が基本とされる。そこには、いまの日本語の「勉強」の意味はない。それに近いのは、「学(xue)」とか「学習(xuexi)」とかになる(四声符号は、表示困難なので省略)。
このように見て来ると、「勉強」を「値引きする」意味に使用したのは、なかなか含蓄あることのように思われる。「当方としては、かなりの無理をして、実はいやいやながら、値引きしているのですよ」という意味が隠されていることになるからである。そう考えると、実に興味深い言葉といえる。
とはいえ、冒頭にも述べたように、この意味の「勉強」は、もはや死語の世界に属している。私も久しく耳にしていないが、こうした言葉を成り立たせるような商慣習がすっかり失われてしまったことも、この言葉が聞けなくなった理由かもしれない。
研究とは言いがたいが、ここに分類しておく。