英語の学習新聞“the japan times alpha”を読んでいることについては、たびたび記した。
難しい単語やphraseには、簡単な訳語が注記されているのだが、確認の必要もあって、しばしば辞書を引く。
娘が昔使っていた、これも学習用の英和辞典、研究社の“LIGHTHOUSE”を使っているのだが、古い辞書なので、新しい単語など、載っていないことも多い。辞書を引くたびに赤線を付しているのだが、どの頁にも二~三箇所は、それがある。これらをすべて覚えていれば、大したものなのだが、ことごとく忘れている。呆れたものである。それゆえ、二度、三度と同じ単語を引くこともある。
それだけならいいが、基本的な単語すら忘れている。今日もattendanceがわからなかった。辞書を引いたら星印がついている。学習用の重要単語の印である。attend、attendantと、連想がすぐに繋がったが、いずれにしても老齢による頭の呆けには違いない。こうしたことが始終あるから、新しい単語など、覚えられるはずもない。
ここまで書いて来て、突然、北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』を思い出した。旧制松本高校在学時の思い出を記した作品である。
大学受験を控える中、友人の一人が、ドイツ語で受験するため、必死になってドイツ語の単語を覚える。北も一緒になって、『ドイツ単語四千語』『一万語』を、端から覚えていく。ある時、その友人が、突然、「パピアってなんだっけ?」と問い掛けて来る。北にもそれがわからず、しばし二人で考え込むが、そこで友人が、「馬鹿、パピアは紙じゃないか!」と叫ぶ。役立たずの、滅多に出てこない単語を覚えるのに夢中で、一年生の教科書の冒頭に出てくるような単語を忘れてしまったのである。「ああ、おれたちは勉強をしすぎたのだ」というところで、落ちになる。
同じ単語を忘れるのでも、こちらは頭の呆けだから、『どくとるマンボウ青春記』とは同一視はできないのだが、なぜかこの箇所が思い浮かんだ。
いまの若い世代は、どくとるマンボウシリーズなど、ほとんど読まないらしい。なお、『どくとるマンボウ青春記』には、匿名だが、北の同級生として、作家の辻邦生や近世文学研究者の堤精二が登場する。ドイツ語の単語を忘れた友人は、どうやらこの堤先生らしい。蹴球に夢中だったとあるからである。
北杜夫の斎藤茂吉四部作『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』『茂吉晩年』は、名著である。