雑感

饅頭二つ

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先日、Nさんから、山田屋まんじゅうを頂戴した。伊予・松山の名物とある。こんな饅頭があることは、まったく知らなかった。小さな、かわいらしい饅頭である。上質な漉(こ)し餡が、透明感のつよい極薄の皮に包まれている。小さいから、一つ食べると、もう一つ食べたくなる。

案内書きに、凍らせて氷菓にしてもよいとあったので、試してみた。なるほど、これもおいしい。
それで思いついて、今度は、お汁粉にしてみた。潰(つぶ)した饅頭に、お湯を注ぐだけである。餡が上質なので、なかなか結構な味に仕上がった。

お汁粉にすることは、大手饅頭からの思いつきである。言わずと知れた、備前・岡山名物の饅頭である。甘酒の芳醇な香りの残る薄皮が、これも上質な漉し餡を包んでいる。その案内書きに、お汁粉にもできると記されている。それで、饅頭が手に入ると、いつも拵えている。

大手饅頭の名は、内田百閒の随筆で知った。岡山出身の百閒先生は、あれほどつよい望郷の思いがあったにもかかわらず、岡山を訪れることには、どこか躊躇(ためら)いがあったらしい。それで、郷里の銘菓である大手饅頭を、何よりも懐かしんだという。

そんな心情を知る高橋義孝が、ある時、百閒先生に大手饅頭を届けたことがある。それを記した高橋の文章が、なかなかおもしろい。

先生はまず大手饅頭の折の蓋を開け、ずらりと整列しているお饅頭に向って、「気をつけ」と号令をかけた。そして暫くしてこんどは「休め」と号令をかけて、一つつまんで食べたというのである(高橋義孝「実説百閒記」『別冊文藝春秋』116号、1971.6)。

この振る舞いは、いかにも百閒先生らしい。いまの大手饅頭は、一つひとつが箱入りの個包装だから、この真似をしようとしても、もう出来ない。それ以上に、大手饅頭は、東京のデパートなどでも簡単に買えるようになってしまった。土地の名物は、そこでしか手に入らないところに、何よりの価値があるように思うのだが、もはや時代遅れの考えなのだろうか。

なお、高橋義孝は、内田百閒の東大独文の後輩にあたる。右の文章は、百閒への追悼文の一節である。

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