研究

コヒマ・エピタフ

投稿日:2023年4月28日 更新日:

数日前、明治大学の田口麻奈さんから、詩誌『ぼくたちの未来のために』の復刻版(琥珀書房)の別冊を頂戴した。田口さんは、そこに、「〈ぼくたち〉、生きることを選ぶ限りは」と題して、その解説を執筆しているのだが、まことに労作ともいうべき内容で、いたく感心もし、また教えられるところも実に多かった。

『ぼくたちの未来のために』は、1950年代、東京大学の学生たちのグループ「明日の会」が刊行した詩誌である。同人には、花崎皋平(こうへい)、山本恒、小海永二、小田島雄志、金子嗣郎、粂川光樹など、また中期以降は、入沢康夫、川口澄子などが加わったという。同人たちの詩を掲載するのみならず、海外の詩や詩論も紹介している。

田口さんの解説で興味を覚えたのは、『ぼくたちの未来のために』というタイトル、さらに「明日の会」の名のいわれである。
「明日の会」の同人たちは、年代的にも、一つ上の世代、戦没学生たちの存在をつよく意識せざるをえない立場にあった。そのことが、そこに大きく関与する。

第二次世界大戦の、ビルマ(ミャンマー)からインド北東部における戦い、いわゆるインパール作戦の中で、日本軍はイギリス軍と激しい戦いを繰り広げたが、その中にコヒマ(Kohima)の戦いと呼ばれる戦闘がある。日本軍は敗北し、それがその後の戦況の帰趨を定める岐路となった。肉弾戦ともいうべき戦いで、イギリス軍の犠牲も大きかった。

田口さんの解説によれば、イギリスには、第二次世界大戦中に戦死した、パブリック・スクールの卒業生の遺稿を集めた詩集があり、その題が“For your tomorrow”であるという。イギリス版『きけわだつみのこえ』である。
激戦の地であるコヒマに、イギリス軍の戦死者を追悼する墓碑が建てられる際、その“For your tomorrow”の言葉が、その墓碑銘に用いられた。それが、コヒマ・エピタフ(Kohima epitaph)である。

When you go home/Tell them of us and say/For your tomorrow/We gave our today

後に、日本のコヒマ戦生存戦友会と遺族会とが、コヒマにカトリックの聖堂を新たに建立する際、その建立資金を献納するのだが、その趣意書に、右の墓碑銘の邦訳が、次のように記されている(建立の記念碑の銅板にも刻まれているという)。

君、故郷に帰りなば伝えよ/祖国の明日の為に死んで逝った/われらのことを

しかし、ここには、あきらかな捻(ねじ)れ、反転がある。“you”“your”“us”の位置に「祖国」が持ち込まれているからである。田口さんによれば、“you”“your”“us”は、戦死者と同じ共同体に属する生者との紐帯のための言葉だが、そこに日本兵も含めた合同慰霊を実現する以上、主体と客体の関係性をあえて曖昧にする必要があった。そこで、右のような邦訳になったのだという。――「コヒマ・エピタフを「日・英・印全将兵」のためのものとして日本語で掲出するまでには、長い道のりが必要であったと言えよう」と、まとめられている。

だが、そうした捻れや反転は、やはり不自然だろう。“you”“your”“us”のままで理解されなければならない。
そこで、「明日の会」だが、この名も、“For your tomorrow”を意識したものという。だが、先の趣意書とは違って、「祖国」などは持ち出さない。その立脚点が、ユニバーサルな視点、国際主義にあったからだという。さらに、田口さんによれば、そこには、「ひとつ上の世代の戦没学生に対する次世代者としての応答責任」が自覚されているという。
詩誌のタイトルが『ぼくたちの未来のために』であるのは、それゆえだろう。このあたりは、実に興味深い。

1950年代は、学生はまだ、知的エリートとしての役割をつよく帯びていた。この詩誌の背後にも、そうした学生たちの意志がつよく感じ取れる。
だが、その後はどうだろう。1960年代末の大学闘争を経て、大衆化社会が出現し、学生もまた、知的エリートとしての役割を、いまや完全に喪ってしまった。「明日の会」のような活動は、それゆえ、もはやまったくありえないことと見てよいのだろう。
その意味で、この復刻版の刊行は、詩史のみならず、戦後史の一面を照らし出す意義をもつ。だからこそ、大いに注目したい。

-研究

Copyright© 多田一臣のブログ , 2025 AllRights Reserved.