この数日、余りにも寒いので、戸棚の奥のハクキンカイロを取り出して使っている。
ハクキンカイロは、漢字で書けば白金懐炉だが、いまの若い世代では、知っている人はほとんどいない。新聞やテレビの広告でも見かけないから、もはや知る人ぞ知る、という商品になってしまっているのだろう。
カイロといえば、ホカロンやホッカイロといった、使い捨てのものばかり。ドラッグストアの店頭では、山積みにされているから、なかなかの売り上げがあるのだろう。
ホカロンやホッカイロの主成分は鉄粉や活性炭などで、鉄が酸化する際の発熱作用を利用しているという。こんな商品は、子どもの頃にはなかった。調べてみると、その発売は、1970年代後半頃のようである。
これらのカイロは、発熱しなくなれば、捨てられてしまう。だから、使い捨てカイロと俗称される。風呂水の浄化、下駄箱の消臭などに再利用できる、という情報は耳にしたことはあるものの、大半はゴミとして処理されているのだろう。環境問題がやかましく叫ばれる現在からすると、大きな無駄というほかない。
ずいぶん以前のことになるが、ドイツを訪れる機会がしばしばあった。ドイツには、こうしたカイロはない。寒い時期に、お土産に持って行ったら喜ばれる、ということをどこかで聞いて、ドイツの友人に尋ねてみたことがある。すると、そうした使い捨ての商品は、環境に悪影響を及ぼすから、ドイツでは製造していないのだと教えてくれた。さすがに、環境重視の国だと感心した覚えがある。もっとも、昔の話なので、いまの状況についてはわからない。
そこで、ハクキンカイロである。気化させたベンジンを、白金の触媒作用を利用して、酸化、発熱させる仕組みのカイロである。その発売は、ちょうど百年前、大正12(1923)年のことという。まさしく一世紀を閲(けみ)した商品である。
桐灰などを利用した灰式カイロというものもあったようだが、以前は、カイロといえば、このハクキンカイロしかなかった。それほどの、画期的な発明品である。
これもかなり以前のことになるが、北京の魯迅博物館を訪れたことがある。その展示品の中に、ハクキンカイロがあった。魯迅もこれを愛用していたことを知って、驚くとともに、ちょっぴり感動した。上海にも魯迅記念館があり、記憶にあやふやなところがあるのだが、これは北京の展示品だったように思う。
ハクキンカイロが、使い捨てカイロに駆逐(くちく)されたのは、扱いが面倒だからだろう。ベンジンを計量して本体の容器に入れ、上に被(かぶ)せた火口(ほくち)に、マッチを摺(す)るなどして、熱を与えなければならない。たしかに、手間が掛かる。
気化した際に発するベンジンの臭(におい)が嫌(いや)がられる、といった事情もあったかもしれない。
とはいえ、発熱量は使い捨てカイロに倍するし、一昼夜の間、暖かさを保つことができる。そんなことで、極寒の時期は、まだまだハクキンカイロを愛用しようと思っている。
なお、不思議なのは、この商品名である。白金の触媒作用を利用したので、白金カイロと命名したのだろうが、白金の読みが、ハッキンでなく、ハクキンである。なるほど、本来の読みはハクキンなのかもしれないが、そこに拘(こだわ)り続けるところが、製造会社の姿勢としておもしろい。
そのあたり、横浜崎陽軒の焼売が、シューマイではなく、シウマイの名をずっと固持していることとも、どこか通じているかもしれない。もっとも、シウマイの読みが、どこから出て来たのかはわからない。中国音なら、シャオマイだから、シウマイにはならない。漢字の音読みなら、シューマイの方がずっと自然である。そこは、いまだに謎のままである。