私の書いた本が、一般の読者の目に触れることは、残念ながらあまりない。
AMAZONのカスタマーレビューなどを見ても、感想が寄せられるのは、ごく稀(まれ)である。
先日、偶々(たまたま)、私の『古事記私解 Ⅰ・Ⅱ』(花鳥社)のところを見ていたら、その稀な感想が一件、寄せられているのに気づいた。
評価は、星一つ。星五つが最高の評価だから、星一つは最低ランクである。「四海 千」(しかい・せん?)という方の評価で、見出しには「反面教師本として超おすすめ」とある。
「四海 千」は筆名だろうが、ひょっとすると「屍解仙」の意があるのかもしれない。なかなか侮(あなど)れない名である。
見出しに「反面教師本」とあるのに引かれて、読んでみた。『古事記』研究の動向に、ずいぶん通じておられる方らしいことが、すぐにわかった。
私の本には、教養書的性格と高度な専門書的性格とが共存しており、教養書として見れば、星六つに値するが、いずれにしても取り扱い注意の要素が多分にあるので、あえて星一つにしたとある。それが、見出しの「反面教師本」ということの意味らしい。
なぜ「反面教師本」であるのかの理由が、詳細に記してあるのだが、偏りは見られるものの、納得しうるところもあって、存外、悪い心持ちはしなかった。
一つだけ、大いに考えさせられる指摘があった。私が、「西郷信綱『古事記注釈』に拠るところが大きい」と記したことについてのコメントである。勝手ながら、引用させてもらう。
本書を読む前に準備段階として、西郷信綱「古事記注釈」全四巻は、ざっと通読しておくこともお勧めする。素人の方は多田さんの癖のない素直な文章より、かえって西郷の癖のある文章に魅力があることに気が付くはずだ。西郷の云うことを全部わからなくとも気にすることはない。池上彰のああそうだったのか式に西郷の云うことの意味を、多田さんが気づかせてくれるからだ。
これは、ある意味では、好意的な評価と見るべきなのかもしれない。しかし、私の文体がもつ欠陥を見事に突いているので、そこを考えさせられた。西郷信綱の文体(文章とあるが、ここでは文体とする)には癖があるが、魅力がある。しかし、私の文体は、癖がなく素直な文体だというのである。つまり、魅力が薄いということになる。
ここを読んで、まだ学生の頃、恩師の秋山虔先生から言われた言葉を思い起こした。先生はまず、「多田君は、頭がいい」と仰った。だが、これは褒め言葉ではない。「頭がいい」ということの意味は、作品にしろ、論文にしろ、その内容を的確に把握してきちんと整理することができる、ということなのだが、そのあとがまだ続く。研究者になるなら、それだけではだめだ。作品世界に躙(にじ)り寄ることのできる文体を持たなければならない。「多田君の文章は、それとはずいぶんほど遠い」と、さらに仰った。
秋山先生は、その時、こうも言われた。折口信夫は、古代の世界に近づこうと、その文章に推敲を重ね、その結果として、あの独特な文体が生まれたのだ、と。折口の場合、当初は、平明であった文章が、推敲を重ねた結果、幾重にも屈折する、一見すると、すぐには理解しがたい、難解な文章に生まれ変わっている、とも仰った。そうした折口の文章について、長谷川政春氏が、どこかで類似の指摘をなさっていたようにも思うのだが、どこでそれを目にしたのか、いまや記憶が曖昧になっている。もし間違っていたら、長谷川氏には、お詫び申し上げる。
ごく最近、内田賢徳氏が、詳細な注を付して、釈迢空(折口信夫)『初出版 死者の書』(塙書房)を刊行された。『死者の書』は、もともと、雑誌『日本評論』に、三回に分けて掲載された小説である。その初出のままを紹介したのが、この本である。単行本化の際に、大きく手を入れていることが、初出版と比較するとよくわかる。推敲を加えるだけでなく、構成も大きく変えられている。その結果、説明的で分かりやすかった冒頭部分が削られるなどして、きわめて難解な、現行の本文に改編されることになった。
こうした推敲、改編は、おそらく上に記した、折口の、古代の世界に近づこうとする姿勢の現れと見てよいだろう。難解さとは裏腹に、近代とは大きく隔たる異質な時空が、その文体を通じて、ありありと浮かび上がることになった。
折口を例に出された秋山先生もまた、晦渋とまではいえないものの、独自のうねりをもつ文体をお持ちだった。おそらく、『源氏物語』の世界に分け入る際に、苦心の末に、獲得なさった文体だったのだろう。
それゆえ、後進の者が、秋山先生の文体を安易に真似ると、たちまちおかしなことになる。文体は、対象と切り結ぶ中で、結果として手に入れることができるものだからである。
そこで、また私に戻る。自分なりの文体を何とか身につけたいものだと、あれこれ試してはみたものの、先の感想に「癖のない素直な文章」と評されている以上、ほとんど進歩がなかったことになる。「素直な文章」にも、何らかの取り柄はあるようにも思うのだが、それにしても、対象との格闘の末に選び取られた文体とは、大きな隔たりがあるのは間違いない。
すでに七十路の半ば近く。いまさらながら、新たな文体を手に入れることなど、できるはずもない。ならば、この「癖のない素直な文章」のまま、研究の着地点を模索するほかないのだろう。とはいえ、これこそが、自分の資質にあった文体であるのかもしれないから、そこに慰めを見出すこともできるのかもしれない。