先日、武蔵野大学能楽資料センター主催の「狂言鑑賞会」を見て来た。
野村万作の「菊の花」が、まさに至芸で、いたく感嘆した。
万作は、昭和6年生まれだから、当年九十一歳。足腰のしっかりしていることに、驚かされる。
私が、狂言を見始めた頃、万作の父である野村万蔵(六世)は、おそらく七十歳台だったはずで、しかも八十歳で亡くなっているから、それを遙かに越える年齢で、いまなお感銘深い舞台を演じられるというのは、どれほどの鍛錬があったのだろうと思う。
大昔には、「野村狂言の会」があり、足繁く通ったものだが、万蔵の没後、どこかで兄の萬(万之丞(四世)、万蔵(七世))と袂を分かつようになり、残念な思いをしたものである。
その萬、万作兄弟の下に、万之介(悟郎)がいたが、ずいぶん早くに亡くなった。
本郷通りから、地下鉄「本郷三丁目」駅に通ずる細い道がある。その途中に、「西むら」という洋食屋がある。ビルの四階にあるが、以前は、地階も含めて、ビル全体が「葡萄亭」の名で、お酒を飲ませる店だった。どうやら、兄弟で(野村兄弟のことではない。念のため)階ごとに分かれて、店を出していたらしい。ビルも、兄弟の所有なのかもしれない。
その四階の「葡萄亭」が、いつか「西むら」に名を変え、洋食屋になったのだが、お酒も飲めるので、学会の懇親会などでは、ずいぶんとお世話になった。
ある時、その「西むら」の壁に、狂言の肩衣が飾ってあるのに気づいた。あまり例のないことなので、店の奥さんに尋ねてみた。驚いたことに、万之介の形見だという。さらに尋ねると、野村兄弟のいとこなのだという。
そこから、連想があれこれとふくらんだ。野村家は、もともと金沢に出自をもつ。加賀である。加賀といえば、本郷の前田家。おそらく、「西むら」の家も、加賀つながりで、本郷の地に店を構えることになったのだろう。本郷の地の奥深さを、いまさらながら知らされた。
先の「狂言鑑賞会」では、萬斎のシテで「小傘(こがらかさ)」も演じられた。ところが、すぐに違和感を覚えた。萬斎の姿勢が棒立ちに見えたからである。萬斎の舞台は、数回程度しか見ていないが、以前にも、同様に感じたから、私の見方が間違っているとは思えない。芸の巧拙は別にしても、他の演者たちの姿勢には、おかしな感じをまったく覚えなかったから、萬斎はやはり棒立ちなのだと思う。
なぜ、誰も注意しないのだろう。萬斎が名声を得ているから、いまさら注意などできない、ということなのかもしれない。だが、私の見るかぎり、萬斎は、同じ年頃であった時分の万作の芸には、とても及ばない。すこぶる残念なことである。