雑感

個人情報の保護?

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以前から、個人情報の保護と称して、おかしな制約を強いる傾向に、大きな疑問を持っていた。
むろん、秘匿すべき個人情報はある。私的な領域に属する情報を、あれこれ勝手に公表されるのは、あってはならないことだろう。

だが、個人の住所や電話番号はどうなのだろう。どちらも社会とつながるための情報であり、その意味を考えるなら、社会に対して開かれているのが本来だろう。
これを知られて困るのは、どういう人たちなのだろう。政治家や芸能人は、なるほど困るのかもしれない。しかし、一般人はどうだろう。不要な郵便物(多くは宣伝のための)が増えたり、あるいは迷惑電話が掛かってくることはあるかもしれない。しかし、不要な郵便物は、そのままゴミ箱に放り込めばいいし、迷惑電話にしても、ナンバー・ディスプレイに変えるなど、対処法はさまざまにある。ストーカー被害の被害者などは、たしかに困るだろうが、それは個別に対処すべき事案のように思う。

だから、一般論として、住所や電話番号(以下、連絡先とする)を知られたくないとする理由が、私にはまったくわからない。過剰反応としか思えないことも少なくない。
書類等が送られて来た際、返信のための葉書が同封されていることがある。昨今は、御丁寧にも、こちらの連絡先を覆い隠すためのシールが、それに添えられている。実に馬鹿げたことだと思う。その連絡先を、誰が見るのを恐れるのだろう。ポストに投函して、先方に届くまでには、基本的には、郵便局員の目にしか触れない。それを防ごうということなのだろうか。あるいはまた、届け先の直接の担当者以外の目に触れるのが厭だ、ということなのだろうか。まったく、おかしな話である。

おそらく、そうしたシールを添えずにいると、文句を言い出す輩(やから)がいるのだろう。シールを添える側は、苦情が出るのを恐れて、そうするのだろうが、無益(無駄)もはなはだしい。文句を言う輩には、きちんと説明して、それでも不服があれば、議論すればよいだけの話である。
近頃は、これに限らず、おかしな(理不尽な)指摘があっても、相手と議論するのを、どこも避けたがる。多少の不都合はあっても、面倒が起こるのは、できる限り避けるようにしたい、ということなのだろう。だから、それにつけ上がる馬鹿が現れる。あきらかにおかしい。いまの社会の、閉塞感がつよまりつつある状況の一端が、こうしたところにも現れているのかもしれない。

近年、学会(ここでは、国文学関係の学会のことだが)でも、会員名簿の作成を避けるような雰囲気が見られる。やはり、連絡先を知られては困る、とする意見があるのだろう。
だが、学会とは、研究者の組織である。一人一人が自立した研究者として、互いに情報交換を行い、研究発表などを通じて切磋琢磨する場が、学会である。それぞれが自立した研究者であるなら、情報交換のために、連絡先(所属・身分も含めて)を明示するのは、当然の責務なのではあるまいか。会員それぞれが、互いの連絡先を知りうるようにしておくことが、最低限の約束であるように思う。
ストーカー被害の被害者のように、個人的な事情があるような場合には、上にも記したように、個別に対処すればよいだけのことである。
会員名簿がなければ、誰が会員なのかもわからない。構成員が誰であるのかを、情報として共有できないような組織は、とても学会とはいえない。

右に記したことについては、当然ながら、異論・反論もあるに違いない。それゆえ、そうした意見の持主には、ぜひそれを開陳してほしいと思う。いつでも議論に応じる用意がある。

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