テレビで、ゴルバチョフの訃報を目にした。旧ソ連崩壊の呼び水となる、民主化運動を容認し、東西ドイツの統一がそれによって実現したのだから、歴史上、きわめて大きな役割を果たしたことになる。もっとも、いまのプーチン政権などからすれば、旧ソ連の秩序を破壊した悪役になるのかもしれない。
ベルリンの壁崩壊から、ちょうど10年後、旧東ドイツの民主化運動の発祥地であるライプツィヒ(現地では、しばしばライプツィークと発音する)とドレスデンを訪れたことがある。たまたま、日本にいる家内に送った手紙が出て来たので、それを紹介してみたい。10年後のことではあるが、旧東ドイツの雰囲気がまだ残されており、ここに掲げても、多少の意味はあるように思ったからである。1999年11月22日付の手紙である。
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ドレスデンからベルリンを回って帰ってきました。
ライプツィヒでは、金子先生(以前、千葉大で同僚だった金子亨先生、言語学、ドイツ語学)にすっかりお世話になりました。駅で出迎えてくれました。
東ドイツの民主化運動が始めて起こったニコライ教会に、まず行きました。中がきわめて美しい。
その後(あと)、有名なトーマス教会(バッハがオルガンを弾いていた教会で、墓が教会の内部にあります。翌日の演奏会の練習をしていました。演奏は、ゲヴァントハウス・オーケストラのメンバー、教会の外には、メンデルスゾーンが寄付したというバッハ像もあります)に寄り、それからライプツィヒ大学に。
ドイツで2番目に古い大学のようです。有名な高層ビルは、粗悪な工事のせいで傾いたりして、実際には使い物にならず、目下、その大改造中でした。
面白かったのは、1968年、その横にあった由緒ある大学の教会を、評議会の決定で爆破し、その跡に建てた建物の上に、マルクスと大勢の学生の群像(かなり巨大)を載せたのですが、いまや批判の対象となっており、像にペンキが投げつけられた痕があったり、建物の前に、かつての教会の形が鉄骨で組まれていました。教会爆破に関与した当時の責任者のうち何人かは、まだ存命なのだとか。
トーマス教会の前のビアホールで昼食。ビールはここで作っていて、濁っていますが、とてもおいしい。名前を「トーマス教会のビール」といいます。もとは教会で作っていたようです。
そのあとホテルへ。グーテンベルク・プラッツにあるホテルですが、古い建物で、看板も何もない不思議なホテルです。グーテンベルク・ギャラリーの最上部の2階がホテルになっています。中庭を完全な吹き抜けにして、すべての部屋を回廊風に並べた造りです。
その後、6時から、トーマス教会のオルガン演奏会に行って見ました。これはやはり感動ものです。バッハの曲その他。途中、坊さんのお説教があり、賛美歌を歌わされました。お説教の中に、ゴルバチョフの名前も出てきて、民主化運動のことが話題だったようです。「ゴルバチョフには、どれだけ感謝してもしきれない」ということも言っていたようです(金子先生の通訳)。民主化運動は、ニコライ教会だけでなく、どこも教会が重要な役割を果たしました。ドレスデンの十字架教会にも、その関係の展示がありました。共産主義体制下では、教会は基本的に弾圧の対象だったでしょうから、そこから運動の火の手があがったことは、容易に納得できます。ゴルバチョフはロシアのどの勢力からも、いまや総スカンだそうですが(金子先生の話)、ドイツにとっては統一の最大の功労者(恩人)という評価です。
演奏会のあと、ゲーテが通い、「ファウスト」にも登場するアウアー・バッハス・ケラーに行きました。店の前にファウストとメフィストフェレスの像があり、内部にはファウストの場面を描いた壁画があります。メフィストフェレスの役者が現れて、お客を相手に、横で科白(せりふ)を聞かせてくれます。金子先生は猪のステーキ、こちらは雉のベーコン巻を食べました。実に美味。ワインは、なぜかボージョレーのヌーボー。
次の日はゲヴァントハウスの中で待ち合わせ。そこでグルベロヴァとファスベンダーのCDを買いました。昼食は、トンネルというこれも由緒ある店。駒場の麻生健先生(ドイツ哲学)ご推奨のLeipziger Allerleiという野菜料理を食べました。白アスパラガスが中心で、それに人参、大根、エンドウ豆、カリフラワー、ブロッコリー、袋茸を煮た、野菜だけの料理です。これが実においしい。一緒に煮るのでなく、ぜんぶ別々の違う鍋で煮るので、とても面倒な料理のようです。単純なようだが、さすが名物料理の名に恥じないだけのことはあります。彩りも実にきれい。
駅で金子先生と別れました。ずっと小雪がちらついて、とても寒かった。粉雪です。だから傘はいりません。ドレスデンには、夕方に着きましたが、駅前は工事中。しかも旧市街まで続くメインストリートは、灯りがほとんどなく、とにかく暗い。しかし、旧市街に来て、印象が一変しました。灯りがないのは相変わらずですが、由緒ある建物がぎっしり。その多くはライトアップが施されていて、とても美しい。戦争で破壊されたのを、できるだけそのままに復元したようです。その典型が、ゼンパー・オパー。フラウエン教会は、いまも復元の途中。あらゆる破片を、使えるかぎりもとの位置に戻すという、考古学の作業のようなことをやりつつ、工事を進めています。破片には、いちいち番号が付けられ、棚に並べられています。
次の日は、ツヴィンガー宮殿の中のアルテ・マイスター美術館に行きました。ここの収蔵品はすごい。ラファエロの「システィナのマドンナ」などのイタリア絵画のほか、ルーベンスやレンブラントがたくさん。フェルメールも二枚。デューラー、ホルバインなども。とにかく大変なコレクションです。
そのあと十字架教会。この内部は、戦争で内部が焼けたのをそのままの姿であえて使っているとの説明がありましたが、異様な迫力があって、やはり感動します。ここは少年たちの合唱でも有名です。
夕方から、オペラ。ゼンパー・オパーの建物もすばらしい。ここも完全に破壊されたのを復元しています。内装がきわめて豪華です。オーケストラ・ボックスも広い。音の響きも、バイエルンよりずっといい。
ここでも「パルジファル」を見たのですが、主役級は文句無し。クルト・モルのグルネマンツ、ジークフリート・イェルサレムのパルジファル、デボラ・ポラスキのクンドリーという配役です。それでも八分程度の入りというのは、まことにもったいない話。女性の合唱を、天井桟敷の後方に配置して、観客席も含め、ホール全体をモンサルバートの聖なる城に見立てる仕掛けのようで、なかなかおもしろかった。花の乙女たちは、やはり学芸会風で、ここは演出の難しいところかもしれません。
しかし、ここのオペラハウスは大変な実力です。オーケストラ(シュターツカペレ・ドレスデン)もすばらしい。
Semyon Bychkovの指揮は、テンポの遅い演奏。こんなに遅いパルジファルはめずらしい。しかし、一点一画を忽(ゆるが)せにせず、とても緊張感がある。たぶん真面目な人なのでしょう。全体はバイロイトの方が上だが、主役級は同等以上です。
ホテル(ヒルトン)では、これも麻生先生ご推奨のStollen(「キリスト様のおくるみ」、麻生先生の言葉)を売っていたので、日本に送ってもらいました。これは送料の方が高い。素朴なお菓子です。麻生先生は、毎年、日本に郵送してもらっているとのこと。とにかくドレスデンは、いかにも重厚な古都といった印象です。ライプツィヒともども、伝統の重さを感じさせるところがあって、ボッフム(私のドイツでの滞在先、ルール大学の所在地)のような労働者の町(かつてのルール炭鉱、ルール工業地帯の中心地の一つ)とは違います。
どちらもクリマス市が来週からで、それを見られなくて残念。ドレスデンのは、大変にぎやかなのだそうです。(以下略)。
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私的なこともずいぶん混じっていて恐縮ではあるが、統一直後の旧東ドイツの雰囲気の一端でも伝わればと思う。
旧東ベルリン市街の古いアパートを訪ねたこともあるのだが、床はリノリウム貼り、壁には暖房に使用したコークスの臭いがまだ染み付いていた。
ドレスデンでは、東ドイツで製造されていた小型乗用車、かつて段ボール製などと揶揄された(実際には違うが)トラバントがまだ走っていた。めずらしいので、これは写真に撮った。金子先生、麻生先生は、いまや鬼籍に入られた。あらためて時の流れを思う。