昨日、四代目三遊亭金馬(晩年は金翁と名のった)が亡くなったことを、新聞で知った。失礼ながら、まだご存命とは思わなかった。だが、私にとっての金馬は、いつまでたっても、三代目以外にはいない。
その三代目金馬の語彙の中に、「点取り」がある。かつて、東宝演芸場を舞台に、東宝名人会という落語の会があり、金馬はその常連だった。その晦日会(みそかかい)では、特別に普段の高座には掛けられない艶笑噺が演じられた。
金馬だけでなく、二代目三遊亭円歌、八代目三笑亭可楽、五代目古今亭志ん生などの録音がCD化されて残されている。いずれも昭和30年代の高座である。
金馬は、鉄道事故に遭遇したために、脚が不自由になり、いわゆる板付(いたつき、あらかじめ高座に座っていること)で、講釈師のように、前に釈台を置いて演じた。
その金馬の艶笑噺、大半は随談風な小噺の寄せ集めだが、その冒頭で、「前に釈台を置いて、眼鏡を掛け、点取りを読まなくってもいいようなものだが」と、断りを入れているところがある。
ずいぶん以前、この「点取り」の意味がわからず、辞書で調べたことがある。小さな辞書には見えないが、『日本国語大辞典』には、次のような説明があった(初出例の明示がないのは、なぜだろう)。
講談で、寄席の楽屋にいる講釈師が、先輩の芸を聴き、要所を書きとめること。
これで、一応の納得はしたが、先輩の芸に限らず、講釈師が高座で演ずる際の、要点の抜き書き(簡単な台本)も意味したらしい。金馬もまた、話の要点を記したメモを、「点取り」と呼んだのだろう。
金馬の寄席芸人としての振り出しは講釈師だったから、「点取り」は、身についた言葉だったのかもしれない。顔の表情が滑稽で、客があまりにも笑うので、講釈師には不向きと言われ、噺家に転じたという。
晦日会の金馬の別の話には、『笑府(しょうふ)』の「点取り」をしていたことが出て来る。『笑府』は、明末の馮夢龍(ふうぼうりょう)が編纂した、中国笑話の一大集成で、六百ほどの話(付篇は除く)が収められている。
金馬は、その『笑府』を読みながら、興味深い話を記録し、それをアレンジしつつ、高座に掛けていたらしい。それを記録する行為を、やはり「点取り」と呼んでいる。
そこに紹介されている『笑府』の話がなかなかおもしろい。主人(あるじ)が召使いを呼んで、「お前は、この世の中で、何がいちばん好きか」と尋ねる。「アレをするのが好きだ」。――「いや、それをしてしまったら、何が好きだ」。そこで、召使いが、しばらく間(ま)をおいた後(あと)、「再度、是(これ)を行(おこの)ふにあり」と答える。金馬は、召使いの返答を、あえて漢文口調にして、それで聴き手の笑いを誘っている。漢字(漢文口調)でないとおもしろくない、感じがでないと洒落(しゃれ)ている。
『笑府』巻六の「好内(房事を好む)」と題する話である。中国古典小説選12『笑林 笑賛 笑府 他』(明治書院刊)の書き下し(大木康氏による)には、以下のようにある。
或るひと色を好む者に問ひて曰(い)はく、世間(せけん)何事か最(もっと)も楽しき、と。答へて曰はく、房(房事)を行ふこと最も楽し、と。又問ふ、既に房を行ひての後(のち)、還(ま)た甚(なに)の楽しみか有る、と。沈吟(ちんぎん、しばらく考えること)して曰はく、除(た)だ是(こ)れ再び行ふことなり、と。
内容はほぼ同じだが、金馬は、これを主人と召使いの話に置き換えている。その上で、召使いの返答を漢文口調にしているのだが、ここがやや違う。原文は「除是再行」とある。しかし、金馬の口調の方がずっとおもしろい。これも、金馬のアレンジだろう。
主人と召使いのやりとりの間(ま)も絶妙なのだが、これは聴いていただくしかない。
金馬が参照した『笑府』のテキストがどのようなものであったのかは不明だが、そこから興味深い話を、アレンジをしつつ、書き抜いていったのだろう。金馬の読書の幅の広さ、深さがよくわかる。