新潮社のとんぼの本で、『つげ義春 名作原画とフランス紀行』が刊行されたことを知り、さっそく取り寄せて読んで見た。
2020年、フランスのアングレーム国際漫画祭で、特別栄誉賞を受賞したこと、同地で原画展を開催したことにあわせて渡仏した、その記録が収められている。とはいえ、頁の大半は、つげがその傑作を次々と発表していた頃の七つの作品、「長八の宿」「もっきり屋の少女」「海辺の叙景」(以上は私の好みの順)などの原画の掲載に宛てられている(原画はやはりすばらしい。線が生きているように感じられる)。
この本の帯の惹句に「マンガを“芸術”にした人、82歳の初海外――」とあるように、つげが国外に出たのは、これが初めてだという。
その惹句にはまた、「祝 日本芸術院会員就任」とも記されている。昨年、そのニュースを耳にした多くのファンは、つげの日常の生活ぶりを知っているだけに、ほんとうによかったと思ったはずである。名誉である以上に、年金が支給されるからである。
「マンガを“芸術”にした人」、というのはその通りだとしても、ここには、実のところ大きな問題がある。私は、少女漫画も含めて、かなり多くの漫画を読んで来たつもりだが、ある時点から、まったくついて行けなくなった。いまのアニメと称されるもの(アニメーションとは動画のことだが、区別のためその原作も含めてアニメと記す)が、わからなくなったからである。まったく私の興味を引かない。昭和30年代後半から40年代あたりが、私にとっての漫画の黄金期であったように思う。『ガロ』が、その中心となる。
つげがその典型であるように、この時代の漫画は、きわめて文学性が高い。文学との親和性がつよい。何よりも、作家自身が、文学作品をずいぶんと読んでいる。作品からもそれがうかがえる。萩尾望都の初期の傑作群(『ポーの一族』『トーマの心臓』など)にも、そうした印象がつよく現れている。やまだ紫なども、そうだろう(『しんきらり』『性悪猫』など)。ギャグ漫画に位置づけられることにはなるが、滝田ゆうの作品(『寺島町奇譚』など)にも、文学性をつよく感じる。総じて、これらの作家には、豊かな教養がある。このブログでも、何度も繰り返しているように、学歴と教養とは関係しない。
この時期のつげの作品は、その質の高さにおいて、当時の文学作品を大きく陵駕するところがある。だが、繰り返すように、その感性を支えているのは、あくまでも文学の世界である。
それでは、いまのアニメの世界はどうか。文学の世界とは、まったく親和性をもたない。それは、アニメの作家たちが、もはや文学作品を読んだりはしないからだろう。文学そのものの質の低下もある。それらは、教養が失われてしまったことの裏返しでもある。おそらく、これは、若い世代に共通する問題でもあろう。私が、いまのアニメと称されるものについて行けなくなったのは、そこに大きな理由がある。
つげに話を戻す。アングレームの原画展のタイトルは、「いて、いない」だという。つげの読者ならすぐに気づくことだが、『無能の人』の連作の最終話「蒸発」のテーマである。
私は、この「蒸発」で、俳人井上井月(せいげつ)の存在を知った。幕末から明治の前期、漂泊の果てに伊那谷に居続け、乞食(こじき)井月と蔑(さげす)まれ、あるいは厄介者扱いをされながらも、その地で数奇な生涯を終えた、孤高の俳人である。つげは、下島勲・高津才次郎編『漂泊俳人 井月全集』を読んで、「蒸発」の構想を得たらしい。『井月全集』は、昭和五年の刊行である。
井月は、芥川龍之介が高く評価し、種田山頭火が傾倒したりはしたが、世間的には、ほとんど注目されることはなかった。
つげが、どういう経緯で『井月全集』に出会ったのかは不明だが、つげの読書量のゆえあってのことだろう。つげの教養の深さを思うべきである。その井月が、「蒸発」では、「いて、いない」を文字どおりに体現するもう一人の主人公、古本屋の山井と重なることになる。
私も、『無能の人』を読むまで、井月という存在をまったく知らなかった。「いて、いない」とは、おそらくつげの理想とする思いなのだろう。だが、人間存在の根源をたどれば、おのずとそこに落ち着くのかもしれない。ならば、相当に深い意味がここにはある。『般若心経』の「色即是空、空即是色」にも、どこかで繋(つな)がるのかもしれない。
『無能の人』(日本文芸社)が単行本として刊行されたのは、1988年(昭和63年)のことである。これが契機となって、井月再評価の機運が生まれた。井月についての本も、それ以後、ずいぶんと刊行されることになる。つげの影響力の大きさを、ここからも推し量ることができる。
一つだけ、遺憾とするところを書いておきたい。2012年(平成24年)に、岩波文庫の一冊として、復本一郎編『井月句集』が刊行された。きわめて充実した内容で、「参考篇」として、略伝、奇行逸話等々、最初に井月を紹介した下島勲、高津才次郎氏の論も付載されている。ところが、「解説」「主要参考文献」に、つげの名が見えない。復本氏は、つげの作品を読んでいないのかもしれないが、井月再評価の機運を生み出した事実だけは、当然記されるべきだろう。岩波文庫の一冊に『井月句集』を入れることになった理由は、つげの作品によって再評価がなされたからだろう。
2001年(平成13年)に、人間ドキュメントのシリーズの一冊として、河出書房新社から刊行された、江宮隆之『井上井月伝説』は、井月の自由な評伝だが、そこにもつげの名は出てこない。河出書房新社の編集部が、人間ドキュメントの対象に井月を選んだのは(他には、蜷川幸雄、丸山真男、魯迅、中野重治等々)、やはりつげの作品があったからだろう。
漫画ということで無視(軽視?)を決め込んだのだとすれば、これはやはりおかしい(記憶だけで書いているので、もしどこかに言及があったなら、無礼な申しようになる。その場合は、乞御容赦。お気づきの方は、御教示下さい)。
つげは、いまの若い世代にはまったく読まれていない。学生に尋ねても、答えは同じである。どうやらそれは、先にも書いた、教養の低下に見合う現象のように思われる。果たしてどうなのだろうか。