雑感

とんかつ

投稿日:2022年6月24日 更新日:

とんかつは、西洋料理をみごとに和風化した、いかにも日本的な料理だと思う。
そのとんかつが大好きである。

とんかつ好きの多くは、ソースをたっぷりと掛ける。そのソースも、西洋のものを和風化しているに違いないから、それも含めておもしろいと思う。もっとも、とんかつにウースター・ソースは合わないと思う。ただし、日本のウースター・ソースも、本場のものとはずいぶんと違っている。和風化している。『暮らしの手帖』のどこかで、花森安治がそれを慨嘆していたように思う。
とんかつソースが発明されたのは、とんかつ好きの嗜好(しこう)に合うソースを考えたからだろう。家内は、とんかつ好きではないので、ソースもそれほど掛けたりはしない。ソースの掛け方で、とんかつ好きかどうかがわかるように思う。つけあわせのキャベツのせん切りにも、私はソースを満遍なく掛ける。辛子(からし)を添えるのは、約束のようなものだろう。

とんかつは、ロースにかぎる。ヒレはだめである。ロースの脂身の部分を削(そ)いだ上質なところを、分厚く揚げたものが最高である。
そのとんかつの最高峰は、ずいぶん以前に店を閉じた、上野の「双葉」だった。本牧亭(ほんもくてい)のある路地を入り、本牧亭の前を右に曲がったすぐのところにあった。狭い階段を上がった二階で食べさせてくれた。

「双葉」のとんかつは、何より肉の甘みが際立っていた。おまけに柔らかい。一切れ一切れは分厚いが、それがたやすく噛み切れた。きわめて上質なロースでないと、この甘みは味わえない。揚げの技術もあるのだろう。

上野・御徒町界隈は、とんかつの名店が多いが、私は「双葉」にしか足を運ばなかった。東京文化会館で音楽を聴く前によく立ち寄った。
「双葉」は、休業の多い店だった。満足できる肉の仕入れができないと、店を閉めたらしい。
その「双葉」がいつ消えてしまったのか、そのあたりの記憶が判然としない。
いずれにしても、「双葉」を超える味のとんかつには、それ以後出会っていない。あの肉の甘さがひどく懐かしい。

不思議なとんかつに出会ったこともある。これは、さらに大昔のことになる。
私の高校は、地下鉄の外苑前にあった。その駅近く、青山通りに面して、「種長(たねちょう)」という小さなレストランがあった。その名物が、「紙とんかつ」と称するもので、「大とんかつ」とも呼ばれていた。豚肉を叩いて薄く延ばし、衣を付けて揚げたのだろう。薄いから「紙とんかつ」、大きいから「大とんかつ」と命名したのだろうが、なるほどと思う。
いま思うに、仔牛と豚肉の違いはあっても、ウィンナー・シュニッツェルにヒントを得た料理だったのではあるまいか。もっとも、その店に入ったのは、たった一度だけである。その「種長」も、いつの間にか消えてしまった。
「紙とんかつ」は、大正の終わり、あるいは昭和の初め頃から提供していたと、店の案内に記されていたように思うのだが、いまは確かめようがない。

もう一つの不思議なとんかつは、渋谷の「蓬莱亭(ほうらいてい)」の「長崎かつ」である。昨今の渋谷の変貌はあまりにも激しく、私などは少し歩いただけで、たちまち迷いそうである。
プラネタリウムや映画館などが入っていた東急文化会館はとっくに消え失せ、いまは渋谷ヒカリエに建て替えられている。「蓬莱亭」は、東急文化会館の並びに店を構えていた喫茶店の地下にあった。ここもいまはない。訪れたのも、ずいぶん昔のことになる。
「長崎かつ」は、その店の看板メニューで、豚の挽肉に味をつけてベーコンで巻き、衣を付けて揚げたものである。メンチカツと似てはいるが、味はまったく違う。たしか俵状(たわらじょう)になっていたように思う。ロースかつよりも値段が高かったはずだが、これもいまは確かめようがない。
「長崎かつ」というくらいだから、長崎に縁(ゆかり)があるのだろうが、実際に長崎の名物であるのかどうかはわからない。

だいぶ以前に、成城の「椿」のことをこのブログに書いたが、その「椿」にも久しく行っていない。
「椿」は名店ではあるが、それでも「双葉」には及ばない。「双葉」のような店には、もう出会えないのかもしれない。

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