「昔はよかった」は、久しい以前からの、ひょっとすると太古の昔からの、老人の変わらぬ繰り言の一つなのかもしれない。このブログでも、「たわ言」の題で、それに関連する内容を述べたこともある。
以下、私のごく狭い趣味の世界の範囲内ではあるが、「昔はよかった」と言い切ることができるのかどうか、――それについていささか考えてみたい。
まず、能について。芸の世界では、「昔はよかった」をしばしば耳にする。私が能を見始めたのは、昭和43年の頃である。観世寿夫が、新たな世代の牽引者として、華々しい活動を展開していた時期である。寿夫が活動の拠点とした銕仙会(てっせんかい)には、足繁く通った。学生券が格安なのは、意識的な配慮があったのだろうが、実に有り難いことだった。新作能「鷹姫」を見るために、仲間とともに、わざわざ夜行に乗り、京都観世会館まで遠征したこともあった。昭和45年のことである。
寿夫は、新しい演劇活動にも熱心で、その主宰する冥の会の舞台も何度か見た。ただし、こちらはお世辞にもよい出来とはいえなかったように思う。
寿夫は、私にとっても大スターだったのだが、一方で、明治生まれの名人上手の舞台も、数は少ないながらも見ている。宝生流の近藤乾三、高橋進、金春流の桜間道雄などの舞台である。ところが、そこから得た感銘は、寿夫のそれよりもずっと大きかった。高橋進の「求塚(もとめづか)」の舞台は、いまも忘れがたい。ウナヒヲトメが、作り物の柱に取り縋(すが)るところで、柱がたちまち火焔(かえん)と変じ、思わず手を離して、舞台にぺたりと平座する。驚いたのは、その火焔がまざまざと見えたことである。こうした体験は、寿夫の舞台からは、ついに得られなかった。寿夫が夭折したためでもあるだろう。
だから、こうしたことを突き詰めると、たしかに「昔はよかった」に行き着くのかもしれない。
落語も同じである。いまも、三代目三遊亭金馬、二代目三遊亭円歌、八代目三笑亭可楽、八代目林家正蔵、八代目桂文楽、六代目三遊亭円生、四代目三遊亭円遊あたりのところで、私の時間は停(と)まっている。
それ以後の噺家は、まず聴く気がしない。聴いても苛々(いらいら)するだけである。要は、皆下手(へた)に聞こえるということなのだが、これも「昔はよかった」の口だろう。
噺家ではないが、いまの「お笑い芸人」と称する連中など、「お笑い」を標榜してはいるものの、どこがおもしろいのか、さっぱりわからない。何の「芸」もないくせに、「芸人」を僭称(せんしょう)するなど、烏滸(おこ)がましいにも程がある。
もっとも、そうした「お笑い芸人」に共感を寄せるいまの若い人々は、「お笑い芸人」を苦々しく思っている私などを、感性の乏しい、あるいは感性の欠けた人間と見ているらしい。「フィーリングが合わないだけでしょう」と、学生に言われたこともある。ノリがいいとか悪いとかの、ノリとやらもさっぱりわからない。
大昔、千葉大学で、歌舞伎研究の泰斗である服部幸雄先生と同僚だったことがある。服部先生は、お若い時分、歌舞伎研究に邁進される一方で、新たな演劇活動にも積極的に関与しておられたらしい。名古屋にお住まいの頃のことである。堂本正樹『回転扉の三島由紀夫』(文春新書)に、その一端がちらりと記されていたように思う。
ある時、服部先生から、次のような話を聞いたことがある。状況劇場(唐十郎)、天井桟敷(寺山修司)までは追いかけていけたが、夢の遊眠社(野田秀樹)からは、まったくついていけなくなった、というのである。演劇活動にも、あきらかな断層があるということだろう。この場合は、古い世代とは別の、新たな感性が生まれている、ということになるのかもしれない。
ならば、「お笑い芸人」の場合も、学生に言われたように、私の感性がついていけず、そのよさがわからないということになるのかもしれない。だが、それでも私は、そうは思わないが。
オペラの場合、「昔はよかった」と言えるのかどうか、ここはなかなか微妙なところがある。
私がクラシック音楽を熱心に聞き始めた頃、――中学生なってからのことになるが、「バラの騎士」の公演の映画の上映広告が、時折新聞に載った。料金を取っての上映である。いまも、MET(メトロポリタン歌劇場)の公演の上映が劇場であったりする(METライビング・ビューというらしい)。だが、当時は、この「ばらの騎士」の上映だけだったはずである。日比谷公会堂が会場だったように思う。
もっとも、私自身はそれを見てはいない。後に、その公演のDVD(その前にはLDもあっただろう)を買い求めて、それはいまも手許にある。ザルツブルク音楽祭の公演の録画である。カラヤンの指揮、エリーザベト・シュワルツコップがマルシャリン(元帥夫人)を演じている。オックス男爵は、オットー・エーデルマン、オクタヴィアンは、クリスタ・ルートヴィヒという配役である。演奏は、ウィーンフィル。1960年の録画とある。その録画を映画として、当時は会場で上映していた。
この録画が、以後、「ばらの騎士」の規範とされ続けることになる。シュワルツコップのマルシャリンは、その演技も含め、一つの理想として、見る者の心につよく残されたらしい。
ところが、カルロス・クライバーが指揮した、二つの公演(1979年、1994年)のDVDの出現によって、カラヤンの「ばらの騎士」は、すっかり色あせたものになってしまった。
マルシャリンは、ギネス・ジョーンズ(1979年)とフェリシティ・ロット(1994年)が演じているが、どちらの歌唱も演技も、シュワルツコップよりずっと上手(うま)い。それにもかかわらず、最高のマルシャリンはシュワルツコップだと主張する輩(やから、不躾な言い方で乞御容赦)もいまだにいる。これも「昔はよかった」の類(たぐ)いだろうか。日比谷公会堂での上映に胸をときめかせて通った、その時代への郷愁があるのかもしれない。
1994年のクライバーの「ばらの騎士」の日本公演(東京文化会館)は、幸運なことに、私も見ることができた(10月10日)。二枚目のDVDとほぼ同じ配役である。その感動は、いまも忘れがたい。
それ以後ずっと、私は、このクライバーの二つの公演のDVDが、「ばらの騎士」の到達点だと思っていた。
ところがである。ハンス・ウェルザー=メスト指揮のDVDを見て驚いた。2014年のザルツブルク音楽祭の公演の録画である。鬼才ハリー・クプファーの演出も大きく与ってはいるが、実に斬新な内容で、深い感銘を覚えた。マルシャリンのクラッシミラ・ストヤノヴァは、ブルガリア出身の歌手だが、その存在感にまずは圧倒される。だから、ここでは、「昔はよかった」とは、簡単には言えないことになる。
このように見て来ると、私の狭い趣味の世界の範囲内ではあるが、「昔はよかった」と言える場合、そうでない場合、そのどちらもがあったことになる。そのけじめの判別は、なかなか難しい。大きくいえば、これも不易流行につながる問題なのかもしれない。
*カラヤンの「ばらの騎士」のDVDは、1956年の録音盤と同配役で、1960年のザルツブルク音楽祭で上演したものの録画である。録音盤はフィルハーモニア管弦楽団だったが、ザルツブルク音楽祭の上演では、ウィーンフィルが演奏している。信濃追分の山荘に置いてあったDVDを、やっと確認した。それを踏まえて、一部書き直した。(6月6日追記)