雑感

五光

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花札というものを、近頃あまり見かけなくなった。学生に聞いても、遊んだことがないという。どんなものかも知らないらしい。任天堂が、創業時、花札の製造会社だったことを話すと、皆びっくりする。「天に任せる」という社名は、なるほど花札の製造会社にふさわしい。

学生時代は、花札でよく遊んだ。友人たちとテントを担いで、山登りを兼ねたキャンプによく出かけた。テントの中では、決まって花札をした。いわゆる馬鹿(ばか)っ花(ぱな)で、八八(はちはち)の簡略版である。夜行列車の車内でもやった。長い時間遊べるので、退屈しのぎにはちょうどよかった。

基本は、手許(てもと)に札(ふだ)を揃える遊びなのだが、標題にした五光(ごこう)は、その最高の役をいう。点数の高い四枚の札を集めると四光(しこう)になるが、そこにもう一枚「雨」の札(柳の木の横に、傘を差した小野道風(おのの・とうふう)と蛙が描かれる)が加わると五光になる。

この五光をそのまま題にした落語がある。宇井無愁(うい・むしゅう)『落語の根多(ねた)』(角川文庫)によると、もともとは上方噺らしい。
家には、二代目桂小文治の演じた、大昔の録音テープがある。小文治は、もともと上方の噺家だったが、大正6年に上京し、以後ずっと東京の舞台で活躍した。上方噺を上方言葉で演じた。このあたり、京都出身の二代目桂小南と似たところがある。もっとも、小南の場合は、その師である三代目三遊亭金馬の薦めで、上方噺に転じたらしい。
小文治は、時折、一席演じた後に素踊りを披露することがあった。これが実に色っぽく、着物の下の襦袢(じゅばん)も赤だったような記憶がある。新宿の末広亭で見たのだが、小文治は昭和42年に亡くなっているから、私が中学か高校の時分である。

家の「五光」のテープは、いつ録音したのかはわからない。実に不思議な話で、大筋のところは怪談仕立てになっている。以下は、そのあらすじ。

山奥に迷い込んだ旅人が、鉦(かね)の音が聞こえるのをたよりに、粗末な辻堂の前まで来ると、坊主らしい男が、砂利の上に粗布(あらぬの)を敷いて座っている。ボロボロの身なりで、髪も伸び放題。道を尋ねても何も答えない。だんまりの修行だろうと判断して、さらに奥に進むと、老いさらばえた老婆の住む一軒のあばら屋を見つける。その老婆に、一夜の宿りを頼む。泊めるのは承知してくれるが、夜中に見たことは、決して他言しないよう約束させられる。
この家には、老婆の娘がいる。深夜、モノに魘(おそ)われたように感じて、旅人が目を覚ますと、娘の傍らにぼんやりした人影が見える。それが、辻堂の坊主であることに気づいた男は、夜が明けると、辻堂に出向いて、坊主に語りかける。「好きなら、好きと言うて遣(や)り」などと言っても、坊主は相変わらずだんまりを続けるので、鎌を掛けるつもりか、「あの娘は、死んだで」と言う。「死にましたか」と言うやいなや、坊主の姿はたちまち舎利骨(しゃりこつ)に変じてしまう。驚くうちに、空が俄(にわか)に変じて、車軸を流すような大雨。旅人は慌てて辻堂の中に逃げ込む。外見の粗末さとは大違い。正面の厨子(ずし)には、桜に幔幕(まんまく)、ぐるりの欄間(らんま)には、松に鶴が彫られ、天井には、桐に鳳凰が描かれている。「ああ!あの坊主が」――「坊主のところへ、雨で飛び込んだので、五光になった」というのが、サゲになる。

花札を知らないと、いかにもわかりにくい。そこで、小文治も「もう一遍なぞってみます」と断った上で、あらためてサゲを解説している。
「桜に幔幕」「松に鶴」「桐に鳳凰」は、それぞれ点数の高い札の絵柄。「坊主」は、「芒(すすき)に満月」で、これもまた点数の高い札の絵柄。この四枚が揃うと四光になる。そこに「雨」つまり「柳と小野道風」の一枚が加わると、五光になる。なかなか洒落たサゲだと思う。

話の冒頭で、小文治は、落語には、出家の作った作が多いが、とくに「五光」は「よほど粋(いき)な御出家が、お作りなすったのではないかと思う」と述べている。安楽庵策伝(あんらくあん・さくでん)の名を出すまでもなく、出家が落語の成立に関与しているのは確かだから、小文治の想像も、当たっているのかもしれない。もっとも、この話の怪談仕立てのところは、書物に典拠がありそうに思うのだが、まったくつかめずにいる。坊主と娘の関係も、坊主の霊が執念となって取り憑いたというあたりまではわかるが、もともとの因縁が何であったのか、その説明はない。先の宇井無愁『落語の根多』にも、典拠については、何も記されていない。もしお心当たりがあれば、ぜひ御教示願いたい。

「五光」は、三代目桂米朝も演じていたらしい。ただし、それは聞いていないから、小文治の噺との違いはわからない。
小文治は、ほかに「らくだ」「蔵丁稚(くらでっち)」の録音テープがある。小文治のような噺家は、もう現れることはないだろう。この噺もいずれ消えてしまうに違いない。

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