もう一度だけ、宮澤賢治について書く。
「グスコーブドリの伝記」も、賢治の作の中では、ずいぶんと評価が高い。グスコーブドリの自己犠牲の無私の精神が、深い感銘を与えるからだろう。
だが、ここでも臍曲(へそま)がりのようだが、私などは、この原型ともいえる「 ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」に、より魅力を感ずる。なるほど、作品としての完成度ははるかに及ばない。だが、ばけもの世界の異様なありかたが、この現実世界のそれと綯(な)い交(ま)ぜになっているその奇妙さに、不思議なおもしろさを感ずる。
主人公ネネムが、高い栗の木のてっぺんから空中に投げた網に昆布が次々と引っかかる、といった描写は、いったいどこから生まれるのか。ここを読むたびに、『古事記』「神武記」の歌謡の次の一節を、思い起こしたりもする。
宇陀(うだ)の 高城(たかき)に 鴫罠(しぎわな)張る
我(わ)が待つや 鴫(しぎ)は障(さや)らず
いすくはし 鯨(くぢら)障(さや)る
鴫を捕らえようと、宇陀の高い場所(狩り場)に網を張ったら、鴫はかからずに、大きな鯨がひっかかってしまう。想像力の質において、どこか重なるところがある。「グスコーブドリの伝記」では、栗の木に網を掛けて、テグス(天蚕)を飼うことになっているから、こちらはずっと素直である。
ばけもの世界には、明確な秩序があり、人間の世界とは截然(せつぜん)と切り離されている。ばけものが、妄(みだ)りに人間世界に出現すると、「出現罪」に問われるという。「表、日本岩手県上閉伊郡青笹村字瀬戸二十一番戸伊藤萬太の宅、八畳座敷中に故なく擅(ほしいまま)に出現して萬太の長男千太、八歳を気絶せしめたる件」で、座敷をザワッザワッと掃いていたザシキワラシが裁かれ、いまはばけもの世界の裁判長になったネネムが、ムムネ市の街路掃除を命ずる判決を下したりする。「表、日本岩手県…」の「表」は、表の世界のことらしく、ならば、ばけもの世界は「裏」にあたるのだろう。
この作には、雑多な要素が混然とした状態で詰め込まれており、そのこと自体がむしろ大きな魅力を生み出している。
このブログを書くため、「グスコーブドリの伝記」もあらためて読み返したのだが、その末尾のところを見て驚いた。気温は「空気中の炭酸瓦斯の量」で決まると説明されていたからである。地球温暖化の原因が、二酸化炭素の過剰な排出にあるとされることと、等しい説明になる。だが、その後がずいぶんと違う。「グスコーブドリの伝記」では、冷害を避けるため、火山の噴火を人工的に促そうとする。二酸化炭素を多量に放出させるためである。グスコーブドリは、そのために一命を擲(なげう)つことになる。地球温暖化を果たすことがその目的になるから、いまとはまったく正反対の考えである。昭和七年(一九三二)に発表された作だから、ちょうど九〇年前になる。時代の変化を思わずにはいられない。
「ビヂテリアン大祭」もずいぶんと異色な作である。ビヂテリアンは、菜食主義者のことで、ベジタリアン(vegetarian)の表記が通例だが、ここは賢治に従って、ビヂテリアンを用いる。
カナダのニュウファウンドランド島の小さな山村ヒルティで開催されたビヂテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して出席した「私」の記録である。むろん、こんな大祭など、現実には存在しない。だから、すべて架空の話である。
この「私」は、賢治にそのまま重ねられる。賢治もビヂテリアンだったから、その主張の根拠となるものを、ここで明確に示そうとしたのだろう。
ビヂテリアンには二つの派がある。同情派、予防派である。前者は、あらゆる動物はみな生命を惜しむのだから、その生命を奪うのは「かあいそう(可哀想)」であり、それゆえそれを食べないとする立場、後者は、病気予防のため動物質のものは食べないとする立場である。病気としては、リウマチス、痛風、悪性の腫脹の名が挙げられている。
実践の方法にも三種あり、動物質ものは一切口にしないもの(絶対派)、動物質のものでも、バターのようなものは食べるとする、折衷的なもの(折衷派)、真にやむをえない場合には、食することを認めるもの(大乗派)に分かれる。同情派には、この三派があるが、予防派には、大乗派はいない(「ビヂテリアン大祭」の原型「一九三一年度極東ビヂテリアン大会見聞録」では、それを図解で示している)。
「ビヂテリアン大祭」は、同情派のみの集会で、予防派はいない。「私」は、同情派の中の大乗派に属している。これも賢治の立場と重なる。
「ビヂテリアン大祭」の中心は、ビヂテリアンと、それを批判する「異教」の人びととの議論の場面にある。「異教」の人びとは、大会の前にも、「偏狭非文明的(非学術的)なるビヂテリアンを排す」と題する、数種のパンフレットを配布しており、大会の場でも、その主張に即した批判を行い、それへのビヂテリアンの論駁がなされる。「異教」の中には、シカゴ畜産組合から派遣された人びともいる。
ビヂテリアンへの批判とそれへの論駁は、時として科学的、また時として宗教的な観点から展開されており、なかなか高度な応酬も見られて、教えられることも多い。
その具体的な内容については、ここでは触れない。結末のところで、思いも寄らないどんでん返しがあったりするが、それもまた、この大作をまとめる際の工夫と見てよいのだろう。
ビヂテリアンの立場を、さらに具体的に示したのが、「フランドン農学校の豚」である。ある国(どこかは明示されない)のフランドン農学校で飼われている豚が、屠殺されるまでの顚末を、豚の心理にも触れながら描いた作である。「ビヂテリアン大祭」で、シカゴ畜産組合の理事(屠畜会社の技師も兼ねる)が、動物は衝動と本能だけで生きる一種の器械にすぎないとして、鶏や家畜を屠殺することの妥当性を主張するが、「フランドン農学校の豚」は、それへの批判の意味をもつ。
フランドン農学校のあるその国は、王の布告で「家畜撲殺同意調印法」なる法が存在し、家畜を屠殺する際には、家畜の同意の証文が必要とされる。
農学校の豚も、そろそろ屠殺の時期が近づいたので、校長や畜産の担任教師は、脅したり賺(すか)したり、時には恩を着せるなどして、豚に同意の爪印を押させてしまう。証文の内容は、以下のとおり。
死亡承諾書。私儀永々御恩顧の次第に有之候儘(これありさうらふまま)、御都合により、何時にても死亡仕るべく候。
いかにも人(この場合は「豚」か)を食った文面である。
爪印を押した後(あと)、豚は煩悶し、ついには餌を食べなくなる。肉がすっかり落ちてしまったその様子を見て、畜産の教師は、助手に強制肥育を命ずる。肥育器を喉口(のどぐち)に塡(は)め、飼料を押し込んで、強制的に食べさせる方法である。北京ダックも、半身を土に埋めたアヒルに、この方法で餌を与えるらしい。「ビヂテリアン大祭」では、シカゴ畜産組合の理事が、この方法について詳しく語ったために、ビヂテリアンの婦人が四、五人卒倒してしまう場面がある。
フランドン農学校の豚は、最後には屠殺されてしまうが、読みようによっては、なかなか恐ろしい話である。ブラック・ユーモアには違いないが、その内容はずっと重い。
私は、ビヂテリアンではないから、牛や豚を食べることに、さして抵抗はない。そのことは、このブログ「猫を食べる」でも述べた。だが、殺されるところは、やはり見たくない。
その点については、「ビヂテリアン大祭」にも紹介されている、孟子の次の言葉、
君子の禽獣(きんじゅう)に於(お)けるや、その生を見てはその死を見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食らうに忍びず。是(ここ)を以(もち)て、君子は庖厨(ほうちゅう、生き物を殺す調理場)を遠ざくるなり(『孟子』梁恵王・上)。
に賛同する。もっとも、これは、考えようによっては、どこか狡(ずる)い、むしろ卑怯な姿勢なのかもしれない。
「ビヂテリアン大祭」のビヂテリアン同情派、その大乗派の主張について、一言。
仏教では、僧尼が飲酒したり、宍(肉)を食べたりすることを禁じているが、「四分律(しぶんりつ)」「僧祇律(そうぎりつ)」「根本一切有部毘奈耶(こんぽんいっさいうぶびなや)」などでは、病に際して、僧が薬食として魚・肉の食事を摂(と)ることが認められている。もっとも、それが許される状況ではあっても、魚・肉を食べることへの葛藤は少なからずあったらしく、それを主題とした話が、仏教説話集『日本霊異記』に見える(下巻六縁「禅師の食はむとする魚(いを)、化(け)して法花経と作(な)りて、俗の誹(そし)りを覆(かへ)しし縁(えに))。
宮澤賢治について、まだまだ書きたいことはあるが、長くなるので、これで止める。ここで取り上げた作は、いずれも賢治の傑作だと思う。「銀河鉄道の夜」などよりも、はるかにおもしろいと思う。詩についても、機会を見て、どこかで書いてみたい。