以下は、「研究」に分類するが、まったくの個人的な私感に過ぎない。ただし、今後の宮澤賢治研究のヒントになるところもあるかと思い、あえて「研究」に分類しておく。
宮澤賢治との付き合いは長い。少年時代にも、その童話に接していたが、中学生になって、その作の大半を読んだ。私の通った中学(公立である)には、立派な独立した図書館があったが、そこに十字屋書店版の宮澤賢治全集があり、それを借り出して、熱中して読んだ。
高校に入ってから、宮澤賢治研究会なるものがあることを知り、そこに出てみたこともある。いまとなっては、その正確な場所も不明だが、上野駅近くの東京電力のサービス・ステーション(?)の会議室を借りて、定期的な研究会が開かれていた。恩田逸夫氏などが出席していたように思うのだが、往時渺茫、何もかもがぼやけてしまった。その雰囲気がどこか辛気臭く、数回出席しただけで、退散してしまった。そこでの議論についていくのは、まだ無理だったのだろう。
筑摩書房版の宮澤賢治全集(旧版)の刊行、それに前後する天澤退二郎『宮澤賢治の彼方へ』の刊行が、賢治への一般読者の関心を一気に高めることになるが、私が研究会に出席していたのは、その少し前のことになるから、これは自慢してもよいことかもしれない。
賢治の代表作というと、おそらく「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」を挙げる人が多いだろう。岩波文庫も、その散文作品(多くは童話)を二冊にまとめているが、この二作の題名をそれぞれの書名にしている。
ところが、私はこの二作が好みではない。とくに「銀河鉄道の夜」は、むしろ嫌いな部類に属する。だから、これを賢治の最高傑作とする見方には、いまも従うことができない。
私が好むのは、異土性、土俗性のつよく現れた作である。賢治独特の個性がつよく発揮されていて、余人には真似のできない世界が生み出されている。そうした作こそが、もっとも賢治らしいといえるのではないかと思う。
その代表は、たとえば山男が現れるものだろう。賢治が、生前に刊行した唯一の童話集『注文の多い料理店』は、表題作を始め、すぐれた作が多いが、第一のお気に入りは「狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり)、盗森(ぬすともり)」である。これは、いろいろのところでも書いたように、村立(むらだ)ての神話そのものでもある。そこに、山男が現れる。「黄金色(きんいろ)の目をした、顔のまっかな山男」が、無くなった九つの農具の真ん中に、あぐらをかいて座り、大きな口をあけてバアと云う場面など、――小学生の時、初めてこの作を読んだのだが、そこで感じた不思議な印象が、いまも忘れがたく残っている。
『注文の多い料理店』には、町に出て来た山男が、支那人(中国人)に騙(だま)され、奇体な薬を飲まされて、漢方の丸薬「六神丸(ろくしんがん)」にされてしまう話も出てくる。「山男の四月」である。
この話も、支那人のどこか得体の知れぬ胡散臭(うさんくさ)さが前提にあるが、中国を魔界と見る想像力がその根底にあるらしいことがうかがわれて、なかなか興味深い。その想像力をたどると、纐纈城(こうけつじょう)伝説のような世界にもつながっていく。纐纈城伝説とは、次のような話である。
仏法を学ぶため、唐に渡った円仁(慈覚大師)が、武宗(ぶそう)皇帝の仏法弾圧(会昌(かいしょう)の廃仏)に遭遇する。難を避けるため、他国に逃れる途中、山の彼方(かなた)の、周囲に壁をめぐらした一軒家に匿(かくま)ってもらう。そこが纐纈城で、捉えた旅人を梁(はり)から吊して生き血を絞り、布を染めていることがわかる。仏の功力(くりき)によって、そこを脱出し、仏法弾圧の治まった長安に、無事戻ることができた(『今昔物語集』巻11・11など)。
生き血を絞るため、捉えた旅人には、「物を云はぬ薬」「肥ゆる薬」を飲ませたとあるから、『山男の四月』で、山男が薬を飲まされたのと相似形である。山男は、「からだのでこぼこがなくなって、ちぢまって平らになってちひさくなって……いつかちひさな箱のやうなもの(六神丸)」に変わってしまったとある。
こうした支那人(中国人)の異(あや)しさ、中国を魔界と見る想像力は、日本の辺境を舞台とする類話とも重なるところがある。四国の辺土で、旅宿りをした僧に、「いと清(きよ)げなる食物(くひもの)」与え、打擲(ちょうちゃく)して、馬にしてしまう話がある(『今昔物語集』巻31・14など)。人里とはまったく遮断された、どことも知れぬ辺土であることが、魔界であることを保証する。「いと清げなる食物」には、「物を云はぬ薬」「肥ゆる薬」などと同じく、何らかの魔力、ここでは人を馬に変える魔力があるのだろう。
この話は、民話「旅人馬(たびびとうま)」にもつながっていく。近代に入っても、その話型を利用した物語が作られた。泉鏡花の『高野聖(こうやひじり)』である。飛彈(ひだ)の山越えの間道の奥の一軒家には白痴の少年と美女がいる。美女の妖艶な魅力に取り憑かれた旅人は、美女の魔力によって、たちまち馬に変えられてしまう。人里離れたその世界は、ここでも魔界と呼ぶにふさわしい。
中国を魔界と見る想像力は、現在でも、意外なところに見られる。宮崎駿(みやざき・はやお)のアニメ映画『千(せん)と千尋(ちひろ)の神隠し』である。全体の構造は、異界訪問譚の話型に拠っているが、主人公千尋の迷い込んだ世界は魔窟にも等しく、そこにもまた、そうした想像力の働きが現れている。その異(あや)しさは、時としていかがわしさをも感じさせるが、そのありかたは、賢治の「山男の四月」の支那人のそれに、そのままつながっている。『千と千尋の神隠し』について言及した論は数多くあるが、この問題に触れたものは、管見のかぎり存在しない。贅言(ぜいげん)には違いないが、ここで指摘しておく。
山男の話で、もっとも気に入っているのは、「紫紺染(しこんぞめ)について」である。南部伝統の紫紺染の復活にまつわる話である。山男が紫紺染の秘伝を知っているというので、紫紺染研究会の面々が、山男を盛岡の町の西洋料理屋に招き、それを聞く算段をする。山男に招待の手紙を出すのだが、ここが実におもしろい。幹事役の工芸学校の先生は、桃色の封筒に手紙を入れ、「岩手郡西根山、山男殿」と上書きして、スポンと郵便函に投げ入れる。その時の科白(せりふ)が、「ふん。かうさへしてしまへば、あとはむかふへ届かうが届くまいが、郵便屋の責任だ」というのだが、こんな言い回しは、賢治にしかできない。いかにも賢治らしいと、これを読むたびに、いつも思う。
果たして山男はやって来る。その形(なり)は「せなかに大きな桔梗(ききょう)の紋のついた夜具をのっしり着込んで、鼠色の袋のやうな袴を、どふっとはいて」いたというのだが、案外と紳士然としていることに、一同は驚く。山男はさらに、「アスパラガスやちしゃ(=萵苣)のやうなものが、山野に自生する様にならないと、産業もほんたうではありませんな」などと、意外な卓見を述べたりする。肝腎の秘伝については、山男は最初は知らないというのだが、酒を飲むうちに思い出す。山男は、子供時分、母親の乳が出なかったので、濁酒(どぶろく)を飲んで育ち、ひどいアルコール中毒になったので、酒を飲まないと思い出せないのだという。そうして、聞き出した秘伝で染めた紫紺染は、東京大博覧会で二等賞を獲得することになる。それが、この話の結末になる。
ここでの山男の造型は、実に風変わりである。ひどく土俗的である一方で、どこか町中(まちなか)の生活者の感覚を持ち合わせていたりもする。粗野と紳士風なふるまいとが、渾然としている。こうした山男の像も、いかにも賢治らしい。やはり賢治以外の誰にも生み出せない。
賢治の作を長岡輝子が朗読したCDが何枚もあるのだが、この「紫紺染について」の朗読は、実にすばらしい。長岡輝子は、賢治と同郷である。賢治自身が語ると、きっとこうなるだろう、という感じを抱かせる。
紫紺染だが、盛岡市には、それを扱う草紫堂(そうしどう)という店がある。紫紺染のほか茜染(あかねぞめ)なども扱っている。一度訪れたことがあるが、着物などとても手の出る値段ではないので、巾着(きんちゃく)を買って帰った。いまも小物入れとして愛用している。
『注文の多い料理店』は、先にも記したように、賢治が生前に刊行した、唯一の童話集である。紺色の表紙に、菊池武雄の原色石版の小さな絵を貼り付けてある。大正十三年、盛岡の光原社から刊行された。
この本が東大の駒場図書館に所蔵されているのを、ある時知った。本郷の総合図書館のカードを見ているうちに気づいた。昭和四十年代のことである。
早速、駒場に出向いて、見せてもらった。保存状態もよく、まことに美麗な本で、あらためて感動を覚えた。旧制一高の蔵書だったのかもしれない。館外貸し出しも可能というので、借り出そうとしたら、返却日付を押印する用紙を、裏表紙に貼り付けるという。慌ててそれは中止にしてもらった。だから、借り出さなかったのだが、いまこの本はどうなっているのか。貴重書扱いになっているといいのだが、それは確かめていない。(以下続く)