雑感

ヤング・ケアラー

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最近、テレビなどで、しばしばヤング・ケアラーという言葉を耳にするようになった。家庭の事情により、本来は他の大人が担うべき、兄弟姉妹や両親、祖父母などの生活の世話や介助を余儀なくされ、それが本人自身の生活、時としてその生存を脅かすまでに、過重な負担を強いられているような状況に置かれた、未成年の子どもたちを意味する言葉である。その存在は、老老介護の問題と同様、現代社会の歪んだ状況の一つの現れであるに違いない。

ここで述べたいのは、そうした現実についてではない。ヤング・ケアラーという言葉のもつ軽さについてである。
最初は、この言葉を和製英語かと思った。手許の英和辞典にも見当たらないので、英語のwikipediaを検索してみた。ちゃんとその項目があり、歴とした英語であることがわかって驚いた。そこには、その役割が、次のように説明されている。

The roles taken on by a young carer are exhaustive and are carried out often behind closed doors on top of the normal pressures of a young persons life. The care they give may be practical, physical, and emotional. Responsibilities may range from providing practical support such as helping to cook, clean or wash, giving personal care, emotional support, providing medication or helping with financial chores.

これを見るかぎり、日本の現実ともたしかに照応するから、それでヤング・ケアラーという言葉が用いられるようになったのだろう。

だが、英語のyoung carerを、そのまま日本語のヤング・ケアラーに置き換えると、いかにも軽すぎる感じがする。その理由は、おそらくヤングにある。日本語として定着したヤングは、若さがもつ肯定的な側面、時にその特有の未熟さ、危うさ、無軌道さ等々を内包しつつも、本質的には明るさを印象づける言葉だからである。そこからは、過度な負担に疲弊する、未成年の子どもたちの悲惨な状況はまったく浮かんでこない。未成年介護者、あるいは未成年介護従事者のような、端的な言い方をなぜ用いないのだろうか。

カタカナ英語は、言葉の印象を大きく変える。強姦はいまは強制性交と呼ぶようだが、それをしばしばレイプ(rape)と言い換えたりする。日本人はもともと否定的な内容を示す言葉を生のまま使うのを避ける傾向がつよい。月経を生理と言い換えるのは、その現れだろう。日本人の美徳かもしれないから、それはそれでよい。だが、同様な意識で英語に置き換えると、印象ががらりと変わることもある。強姦をレイプと言い換えられると、犯罪としての悪質性がどこかに置き去りにされたような感じがする。私の場合、英語が生活とは結びついておらず、単語レベルでしかこの言葉を把握しえないことも、そう感じる理由であるのかもしれない。

ヤング・ケアラーという言葉にどこか軽さを感じるのは、いまや少数派なのだろうか。だが、語感の与える印象は、やはり大事だと思う。ヤング・ケアラーの場合も、そのことはどこかで意識しておいてほしい。

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