家のすぐ近くに、善性寺(ぜんしょうじ)というお寺がある。以前は、木造の本堂だけのお寺だったが、火災に遭い、いまはコンクリートに建て替えられている。ご本尊が不動明王なので、誰もが「お不動さん」と呼んでいる。
参道の入口に、お地蔵さんが祀られている。幼い頃から、このお地蔵さんに、お参りしてきた。小さなお堂の中に祀られているのだが、近くの誰かが寄進するのか、頭の帽子や、赤いよだれかけがいつも新しい。時折は花も手向けられている。
地蔵信仰は古いが、庶民の間では、もっぱら子どもを守る菩薩とされた。
千葉県山武郡(さんぶぐん)横芝光町虫生(むしょう)の広済寺(こうさいじ)に伝わる野外仮面劇がある。鬼来迎(きらいごう)という。地獄で責め苦に遭う亡者たちを、観音菩薩が救い取るところが中心になる。ただし、賽(さい)の河原の場面では、地蔵菩薩が現れる。「一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため」と、河原で石積みをする子どもたち(夭死した子どもたちだが)を、鬼が現れて妨害する。そこに地蔵菩薩が現れ、幼子(おさなご)一人を肩に負い、残りの子どもを引き連れて、極楽浄土へと導く。あの世のことではあるが、子どもを守る地蔵菩薩の姿を明瞭に示している。鬼来迎は、三十年ほど前に見たことがある。重要無形民俗文化財に指定されている。
お地蔵さんの、もっともお地蔵さんらしい話があるので、それを書いておきたい。誰かの随筆で読んだ覚えがあるのだが、誰のものであったのかが思い出せない。
昔、ある村に信心深いお爺さんいた。村はずれのお地蔵さんのところにやって来ると、子どもたちが何人かで、お地蔵さんを引き倒し、それに跨がったりして、遊んでいる。それを見たお爺さんは、こっぴどく子どもたちを叱り、お地蔵さんをもとに戻して、家に戻った。
「今日はよい功徳をした」と、満足しながら寝たところ、夜中に夢を見る。お地蔵さんが現れ、「子どもたちとせっかく楽しく遊んでいたのに、何と余計なことをしてくれたのだ」と、お爺さんを反対に叱った、という話である。
子どもを守るお地蔵さんの姿、さらにいえば地蔵信仰の本質をよく伝えていて、私の好きな話である。子どもたちに悪意がないことが、大事なのだろう。これこそが、お地蔵さんなのだと思う。誰の随筆であったか、ご存じの方があれば、御教示願いたい。