雑感

自白と拷問

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家にばかりいるので、テレビを見る時間が増えた。アマゾンのPRIME VIDEOで、昔の韓国歴史ドラマが見られるので、それをよく見ている。イ・ビョンフン監督のものでは、「イ・サン」がいちばん完成度が高くておもしろいように思う。
それを見ていると、時折、拷問の場面が出てくる。獄吏が木製の椅子に座らせた被疑者の股の間に左右から長い棒を挿し入れて責め挙げるのだが、それがどうしてひどい苦痛を与えることになるのか、その方法の詳細が今ひとつわからない。いずれにしても、犯罪の取り調べに、拷問は付きものといってもよいのだろう。

そこから、日本のことを考えてみる。拷問は、それ自体を目的とする場合もあっただろうが、基本は被疑者の自白を得るために行われたと見てよい。
では、なぜ自白を求めるのか。これが、いまなお続く自白偏重主義(冤罪を生む理由とされる)につながっていくことになるのだが、その根本にあるものについて、もう少し考えられてもよいように思う。

『旧事諮問録(きゅうじしもんろく)』という記録がある。岩波文庫に上下二冊で収められているから、簡単に読める。文庫の副題に「江戸幕府役人の証言」とあるように、明治20年代半ばに、旧幕府の制度の運用実態を知るべく、歴史学者たちが、旧幕府の諸役人にその執務のやりかたについて問い質(ただ)した聞書(ききがき)の集成である。そこに「司法の事(評定所)」を取り上げた回があり、旧幕府の評定所留役(とめやく)御目付、奈良奉行を勤めた小俣景徳(おまた・かげのり)の聞書がある。評定所は、幕府の(最高)裁判所で、留役は記録係が本来の職務だが、判事の役目も勤めたという。

そこに拷問の話が出てくるのだが、それがなかなか興味深い。明白な証拠があっても、被疑者があれこれ陳弁して、それを認めない場合に、牢屋敷で拷問するのだという。石抱き(玄蕃石を膝の上に重ねて積む拷問)が中心で、それでも一年に一度あるかないかのことだとある。白状しないかぎりは拷問を続け、自白調書に拇印を押さないかぎり、ずっと牢内に留め置くという。自白しないと、判決を下すことができず、罪に落とせないという。『旧事諮問録』には見えないが、そのまま牢死しても構わないということなのだろう。そもそも、拷問をせざるを得ないのは、吟味方の手腕の優劣が問われることでもあるらしく、それゆえ拷問はなるべく避けるようにしたらしい(八代将軍吉宗の時には禁令も出たという)。

ここで注意したいのは、いくら証拠が明白であっても、被疑者本人が白状しないかぎり、罪に落とせないとあることで、先にも記したように、これが現在にも続く自白偏重主義の淵源にもなっているのだろう。

それにしても、なぜ本人の自白が必要とされたのか。法制史の世界でその意味がきちんと論じられているのかどうか、畑違いの私にはまったくわからない。不勉強は御容赦願いたい。
ただ、私には、何か倫理的な、あえていえば宗教的な意味が、その根底にあるような気がしている。被疑者本人が罪を認めなければ、つまり自白しなければ、罪によって生じた何物かを祓い除くことはできない、とする意識がどこかにありはしないか。その何物かだが、古代的にいえばケガレと考えてもよい。罪は必然的にケガレを生み、ケガレは社会全体に災厄をもたらした。殺人事件なら、殺された人、あるいはその係累にあたる人びとの怨念をそこに見てもよい。そうした怨念も、いずれは社会的な災厄に結びつく。
罪を認めること、つまり自白は、そうした何物かを祓い除く意味をもったのではないか。倫理的、宗教的な意味と記したのはそれゆえである。
こうした理解は、無論、証拠こそが罪を問う唯一の根拠であるとする、近代の司法のありかたとは決定的に対立する。とはいえ、近代の司法においても、被害者の怨念はどこかにずっと残り続けるに違いないから、その問題もどこかで考えられなければならないはずである。

もっとも、今の司法の証拠第一主義も、本人がいくら否定しても、物的証拠とやらを積み上げられて、罪に落とされてしまうこともあるから、場合によっては恐ろしくもある。だからといって、自白の重視を主張するわけでないが、上にも述べたように、自白の意味はさらに考えられてよいように思う。

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