お正月なので、門松について書いてみたい。
このお正月も、花屋で買って来た三尺ほどの松の枝に、輪飾りを付けて、門の左右にそれを立てた。近所の家々を見ても、そうしているところが多い。
少し前までは、大きな商店や、大邸宅などには、立派な門松が飾られていることが多かった。高く立てた三本の竹と松の根元を藁菰(わらこも)で囲み、さらに藁縄で縛ってある。藁菰でなく、割木(わりき)で囲むところもあるらしい。これを作るのは仕事師(鳶(とび))だから、彼らにとって、年末のよい小遣い稼ぎになっていたのだろうと思う。
その立派な門松を、近年、見かけることが少なくなった。経済状況の低迷が、その理由であろう。
しかし、なぜ門口に松を立てるのか。歳神(としがみ)を迎えるため、とする説明が多い。折口信夫「門松の話」によると、歳神の原型は、歳の暮れにやってくる祖先神にあるという。大昔には、歳の暮れに、魂(たま)祭りを行い、祖先の霊を迎え入れた。いまは盆だけになったが、歳の暮れにも、そうした行事があった。日本最古の仏教説話集『日本霊異記(にほんりょういき)』には、大晦日にやって来る祖先の霊を、精霊棚(しょうりょうだな)(用意した御馳走などを載せる棚)を用意して祀った話(上巻十二話、下巻二十七話)が見える。『徒然草』十九段には、「つごもりの夜、いたうくらきに……なき人のくる夜とて、魂(たま)まつるわざは、このごろ都にはなきを、あづまのかたには、なほすることにて」とあり、兼好の頃には、すでに都では廃(すた)れてしまったらしいことがわかる。『後撰集』や『後拾遺集』にも、その習俗を歌った歌が残る。
祖先神の訪れがそれとして意識されなくなっても、祖先神はいつか歳神へと姿を変え、大晦日に来訪する、と信じられるようになった。節分(立春の前夜)にやって来る鬼もその類(たぐい)であり、本来は人びとに福をもたらす存在とされた。狂言「節分」では、鬼は蓬莱(ほうらい)からやって来て、宝物を置き残して行く。
その歳神を迎え入れるために、松を立てた。松はもともと「待つ」の木であり、神霊を待ち迎え、その依り代となる神木とされた。能舞台の鏡板には松が大きく描かれているが、春日大社参道の影向(ようごう)(神が来臨する意)の松を写し取ったものとされる。神事芸能としての能のありかたが、ここからもうかがえる。切戸口(きりどぐち)(舞台袖のくぐり戸)の横には竹が描かれており、これは門松のありようとも重なるから、なかなか興味深い。
竹の意味については諸説あるようだが、垂直にずんずん伸びるところに、霊性がつよく意識されたのだろう。節(ふし)と節の間に空洞があることも、神秘さを増したに違いない。『竹取物語』を見れば、そのことは明らかである。
門松の竹で、前から抱いている疑問があるので、書いておきたい。
竹の先端を斜めに削(そ)いだ竹と、節(ふし)で止めた竹との二様(によう)が、なぜあるのかという疑問である。
昔、どこかで耳にしたのは、堅い商売のところでは、節で止めるのが正しく、客商売、水商売のようなところでは、むしろ止めないように削ぐという説明だった。だから、銀行などの門松で、竹の先が削いであると、「銀行のくせに何だ」などと、思ったものである。反対に、劇場などの門松が、節で止めてあると、おやおやと違和感を覚えたりもした。
もっとも、この理解とは別に、地域による違い、あるいは門松の作り手の美意識による違いなど、別の説明もあるらしい。
いまの門松の様式は、近世あたりに始まったものというから、それほど古いとはいえない。
私が耳にした説明も、もっともらしいだけに、かえってあやしいのかもしれない。