ふとした偶然から、TVK(テレビ神奈川)で放映されている「おいしい給食」に遭遇し、そのまま毎週のように見続けている。SEASON1の途中からだったが、AMAZONのPRIME VIDEOで、最初から見直すことができた。劇場版もそれで見たが、いまはSEASON2の半ばあたりに差し掛かっている。
異常なまでに給食を愛する中学校の男性教師甘利田幸男(あまりだ・ゆきお)と、やはり給食に特別な思いを抱く生徒神野ゴウ(かみの・ごう)を主人公とするドラマである。
甘利田役の市原隼人(いちはら・はやと)の奇矯ともいえる演技は、一見不自然ではあるが、それがこのドラマの不思議な魅力になっている。そこが実におもしろい。
放映が、全国ネットの中心であるキー局ではなく、TVKなどのローカル局(地方局)のみであることも注意される。番組テロップには、「おいしい給食」製作委員会の製作とあるが、監督・脚本として、綾部真弥・田口桂の名が、また企画・脚本として、永森裕二の名が見えているから、この三人が製作の中心にいるのだろう。脚本の完成度はなかなか高く、執筆者の素養も随所に顔をのぞかせていて、そこにも感心する。ドラマ製作の自由は、いまの時代、キー局にはないことを、裏側から示してもいる。キー局のドラマは、総じて質が低い。
ドラマの時代設定は、1984年(SEASON1)から1986年(SEASON2)だが、製作者三人の給食の体験もそこに重なっているように思われる。ドラマの根底に、この時期の給食を懐かしむ心情が感じ取れるからである。
毎回出て来る献立も、当時のものに近いのだろう。すべておいしそうである。
「おいしい給食」に興味をもった理由は、私の給食体験が、このドラマとは正反対、思い出すのも厭なものでしかなかったところにある。もっとも、ドラマとは違って、小学校での体験である。当時は、中学での給食はまだなかった。
その小学校の給食で、第一に槍玉にあげるべきは、脱脂粉乳である。これは、ほとんど吐き気を催すような代物だった。戦後、ララ物資(アメリカのアジア救援公認組織が提供する復興支援物資)の一つとして、脱脂粉乳が提供されたと聞く。茶色い段ボール製(?)のドラム缶様の容器に入っていたように思う。アメリカでは、どうやら豚の飼料だったらしい。それを、飲まされたのだから、吐き気も催したくなる。熱ければまだ飲めたのかもしれない。だが、教室で配られる頃には、すっかり冷め切っているから、私などやっとの思いで飲み干していた。
もっとも、好悪はあるもので、私の数年先輩の某氏は、この脱脂粉乳が好きだったという。とはいえ、その某氏も、当時、好きだと公言するのが恥ずかしかった、とも言っていたから、やはり大多数の児童は、飲むに堪えないものと感じていたように思う。
ところが、ごく最近腹の立つCMがテレビから流れて来た。ユニセフのCMである。海外の困窮者に支援を募(つの)る目的で作られたCMのようだが、その冒頭で、戦後、ユニセフの援助で脱脂粉乳を飲んでいたことを、感謝とともに懐かしく回想する場面があり、これには大いに違和感を覚えた。「おいしいものではなかったけれど、ありがたかった」というような科白(せりふ)が入っていたように思う。ララ物資とは別に、ユニセフの支援があったことは、初めて知ったが、「ありがたかった」など、政治的な(俗な意味での)意図がいかにも見え透いていて、それが実に厭だった。それ以上に、このCMの製作者(脚本執筆者)は、脱脂粉乳の体験者ではないだろうと、すぐに思った。違和感を覚えたというよりも、不快な思いがしたというのが、正直なところである。
当時の給食の中心は、コッペパンだったが、これもおいしいものではなかった。パンそのものの質が悪かったのだろう。味も素っ気もないパンであった。病気で休むと、級友がわら半紙に包んだそのパンを家まで届けてくれた。それが、当時の決まりだった。わら半紙も、昨今見なくなった。
副菜も、「おいしい給食」の献立と比べてみると、実にお粗末だった。「おいしい給食」にも登場して、おやおやと思ったが、「鯨の龍田揚げ」などは、副菜としては当時最上の部類だったかもしれない。もっとも、いまの給食に鯨は出ないと聞いた。「ひじきの煮物」とか「竹輪の磯辺揚げ」もあったように思う。これを粗末なパンと食べろというのは無理がある。
副菜も、口にする頃には、すっかり冷め切っているから、不味の印象しか残っていない。
給食が厭だった理由はまだある。小学校では、給食を食べた後、校庭で自由に遊ぶことができた。一方で、給食は絶対に残してはいけないというのが、当時の不文律だった。それを徹底させるためか、「連帯責任」などという、とんでもない強制の方法まで用いられた。クラスのすべてが食べ終わらない限り、そのクラスは校庭に出てはいけない、という決まりがそれである。
脱脂粉乳もそうだが、不味な副菜など、なかなか喉を通らない。どうしても食べられないという児童も出て来るが、一人でもそうした児童がいれば、そのクラスには禁足の措置が下される。それが「連帯責任」で、もともとは軍隊用語らしい。内務班で、初年兵を処罰する(虐める)際などに、「連帯責任」を持ち出したりしたのだろう。私の小学生時代は、戦後間もない頃だから、「連帯責任」の発想が現れても不思議ではない。
なかなか食べられない児童にとって、給食は二重の意味での苦痛の場だった。どんなに厭なものでも、無理にも喉を通さないと、校庭に出て遊びたい級友たちからの、非難の視線を一身に浴びることになるからである。
ユニセフのCMの「ありがたかった」という科白は、だから「連帯責任」を強要する側の視点になる。私には、そうとしか思えない。
そのようなわけで、給食には厭な思い出しかない。だからこそ、「おいしい給食」がおもしろく思われるのである。あの献立は、どれを見ても実においしそうである。コッペパンも味がよさそうである。どこかで、何かが少しずつ変わっていったのだろう。
「おいしい給食」で、気になるのは、皆が一斉に手を合わせて「いただきます」とやっていることである。この「いただきます」のおかしな慣習については、前に書いたので、参照していただきたい。この起源(の一つ)が学校給食にあることが、このドラマで確かめられたようにも思っている。