いろいろな祭を見てきたが、神の存在がつよく意識されるような祭はまずない。都会の大きな神社の祭など、時に馬鹿騒ぎが目的かと思われたりもする。神輿(みこし)の担(かつ)ぎ棒に土足で乗る輩(やから)までいたりするから、これには呆れてしまう。非日常的な時空の現出には違いないが、神を祀ることの本来の意味からは、ずいぶんと隔たっている。
神を祀る意味とは何か。その前に、神とは何であるのか。私は、この二つのことを、南西諸島の祭、とりわけ宮古、八重山の島々の祭を通して学んだように思う。
神の本質は祟(たた)るところにある。原始の時代から、人びとの生活はさまざまな災厄に脅かされてきた。村(村落共同体)が、社会を構成する基本単位であったとすると、そうした村の維持こそが、その成員(村人)にとって、もっとも大切なこととされた。農村であれ、漁村であれ、食料の確保ができなければ、村は滅ぶ。村人も生きてはいけない。安定した食料の確保を阻むのは、天変地異だったり、異常気象だったりする。不作が続けば、村人は飢えに苛(さいな)まれる。そこに疫病の蔓延が重なれば、村はたちまち絶滅に瀕することになる。
そこで、村人は、そうした災厄に見舞われないよう、神を祀った。神を祀ることで、災厄から逃れようとしたのである。もし、祀り方が悪ければ、神は祟る。そこで、幾重にも鄭重(ていちょう)に、神を祀ることにした。神の本質は祟るところにある、と記したのは、その意味からである。
村の貧しさが、神を要求したといってもよい。それゆえ、やさしい神、願いを何でも叶えてくれる神というのは、もともと存在しない。そうした神が現れるのは、人びとの生活が豊かになってからのことになる。
村が貧しければ貧しいほど、祭は盛大に、かつ厳粛に営まれた。もともと、マツル(祀る)の本義は、供物を奉献するところにあった。タテマツル(奉る)と同義である。その供物とは、平たく言えば御馳走のことだった。ふだんの生活では口にできないような御馳走を用意して、その場に来臨した神に召し上がっていただく。――そうすることで、災厄が村に訪れないよう願うのが、祭の意味だった。
神は、祭の時だけ村にやって来る。ふだんは神の世界にいる。その場所は村ごとに違っている。山のずっと奥のこともあれば、海の彼方のこともある。
一方、人が日常的に生活する場は、俗の世界であり、それゆえ穢(けが)れた世界とされた。そこに神を迎えるためには、そこを神の世界と同じにしなければならなかった。そこで、祭の場では、日常の生活は徹底して排除された。日常の労働はすべて禁じられた。晴れ着を着て、御馳走を食べた。酒もまた祭の際の飲み物とされた。御馳走にせよ酒にせよ、神のご相伴(しょうばん)に与(あずか)る、というのが、その場合の適切な言い方になる。
酒による陶酔は、人を日常から離脱させる。神と同座する資格がそれによって得られた。だから、飲む真似だけは、下戸(げこ)もした。その反対に、日常の場では酒は飲んではならなかった。いまでも、昼日中から酒を飲むのをはばかる意識が残るのは、そのためである。
祭を誤りなくきちんと行えば、神は祟らない。だが、それでも厳しい現実はなお続く。そこで、神はますます畏怖されることになった。神の本質は祟るところにあると、再三述べたのは、それゆえである。
何もしなくても、豊かな生活が送れるなら、神はいらない。祭が少しずつ享楽的になっていくのは、厳しい現実に脅かされることが少なくなったからだろう。だから、それは必ずしも悪いことではないのかもしれない。
いまや、神は共同体の神ではなく、個人の神になってしまったのかもしれない。個人が抱える問題は、基本的に消えることがない。一人ひとりが、それぞれに違った個別の存在であり、そうした存在として集団の中で生きていくかぎり、個人が抱える問題はずっと残り続ける。だから、個人の神は、それこそ始原の段階からありうる。だが、ここでは、そうした個人の神については、触れないことにした。右に述べたことは、もっぱら共同体の神について考えたことと、理解していただきたい。 (以下、続く)