「「現場」をどう呼ぶか」の中で、『日本国語大辞典』の名を出した。日本で最大の国語辞典である。全二十巻で、第一巻の刊行は昭和47年。その後、それを十巻に縮刷した版も刊行された。その第一巻の刊行は昭和54年。私の手許にあるのは、その縮刷版である。
縮刷版には、毎巻、「ことばの窓」と題する付録が挟み込まれた。毎月の刊行ではないので、月報とは呼べないが、ほぼそれに等しい。当時、国立国語研究所の所長だった林大(はやし・おおき)氏と、国語辞書の作成に関係の深い識者との対談が毎号載せられていた。その中に、歴史的に見て重要だと思われる対談があるので、ここに紹介しておく。いまやこれを知る人は、ほとんどいないだろうと思うからである。
それは、昭和54年12月の「ことばの窓 2」に載せられた「対談 文字の工学」である。対談の相手は、東京大学名誉教授・都立工科短期大学学長だった渡辺茂氏。情報システム工学の権威である。
そこではまず、漢字のような文字を、コンピュータ上に表わす場合、いくつのドット(点)数があれば十分なのかが話題とされている。32×32ドット程度であるなら、将来的にもまずまず事足りるであろうと述べられている。その上で、漢字の字数制限、さらには画数制限(簡略化)の必要性にまで、議論は及んでいる。ドット数による制約が前提となるからである。漢字は千字程度が望ましいとある。
私がワープロ専用機を使い始めたのは、それからやや後のことになるが、当時のワープロやプリンタの文字のドット数は、16×16ドット、あるいは24×24ドットだったように思う。当時のワープロには、外字作成機能があり、自分でドットを操作して、漢字や記号を自由に作成することができた。昭和63年刊行の、木村泉『ワープロ徹底入門』(岩波新書)を見ると、高橋留美子『めぞん一刻』に出てくるひよこの図柄を、16×16ドット、24×24ドットの双方で作成する方法が紹介されている。主人公音無響子(おとなし・きょうこ)のエプロンに描かれたpiyo piyoのひよこである。余計なことながら、『めぞん一刻』は一世を風靡した漫画の大傑作であり、その特集記事が『朝日新聞』の文化欄に掲載されたこともあった。響子さんのファンであった私も、早速、このひよこを作成して、ワープロの外字に組み入れた。
だが、その後の情報システム技術の急速な進展は、あっさりと32×32ドットの制限を乗り越えてしまった。いまや、どのような複雑な漢字でも、コンピュータ上に支障なく表示できる。それとともに、漢字の字数制限、画数制限の議論も、どこかに消えてしまった(別の理由からの議論はあるのかもしれない)。だからこそ、先の対談は、当時の事情をうかがわせる重要な資料なのではないかと思う。この一文を草した理由はそこにある。