大学に入学したのは、1968年だから、もはや半世紀以前のことになる。東京大学では、入学願書を提出する際、あらかじめ入学後の語学を決めておく必要があった。教養課程のクラス編成は、語学別だったからである。それで、私は中国語を選ぶことにした。もっとも、当時は、中国語を選択する学生はごく少数に過ぎなかった。しかも、中国語が置かれていたのは文系のみ。学ぶべき科学技術など中国にはないとされ、理系には不要ということだったらしい。
NHKでは、いまと同様、英語、仏語、独語など、外国語教育の放送番組を制作していた。そこに中国語を加えるよう、NHKに申し入れたことがあった。その時の回答が忘れられない。「あんな中共の言葉など、NHKの教育番組に入れるわけにはいかない」――ほぼ、そんな趣旨の回答だった。中共とは中国共産党の略称である。当時は、中華民国の台湾が、中国を代表する政権とされ、実態はともあれ、中国大陸は中国共産党が仮に支配しているに過ぎないとされていた。NHKの回答は、それに応じている。
国連の代表権が中華民国の台湾から、中国大陸の中華人民共和国に移ったのは1971年のことである。その翌年、日中の国交が回復した。NHKが掌を返すように、中国語の教育番組を熱心に制作するようになるのは、それからまもなくのことである。
入学時、教養学部の中国語の専任教員は、助手を別にすれば、一人だけだった。工藤篁(くどう・たかむら)先生という。奇人とまではいかなくても、それに近い不思議な雰囲気の先生だった。教わったことでいまも覚えていることが一つある。当時、中国では文化大革命の最中(さなか)だったが、その文化大革命の「文化」とは、どういう意味なのかが話題となった。先生は、「文化」とは「体制」のことだとおっしゃった。私など、その説明にいたく感心した。ずいぶん後になって、中国の友人にその話をしたら、それはありえないと、即座に否定されて、がっかりしたことを覚えている。ただし、文化大革命の前史にあたる整風運動の「整風」、その「風」には「文化」「体制」に近い意味もあるから、「文化」=「体制」という理解は、それほど間違ってはいないようにも思われるのだが、どうだろうか。
習近平が、整風運動、文化大革命のような運動を再び始めるのではないかと囁かれている。人民服をしばしば着用しているのは、自分を毛沢東に重ねようとする意図があるからだろう。そうした運動を実際に起こすのかどうか――、いずれにしても興味深い。まさか紅衛兵を組織したりはしないと思うが。
なお、私が中国語を選んだのは、ごく単純な理由からである。大学では国文学を勉強しようと思っていたので、それには中国古典が読めないといけないと考えたからである。