北京ダックから、いきなり過激な話になる。
今後しばらく、世界は中国中心に動かざるをえないだろう。
ずいぶん以前の「天安門事件」もそうだが、最近の香港の民主化要求の弾圧、さらには新疆ウイグルやチベットなどへの弾圧をどう見るかが、まず問われることになる。
その根源には、中国が抱える二つの問題がある。一つは、都市と農村の大きな経済格差であり、もう一つは、日本以上に少子高齢化が進んでいるという現実である。一人っ子政策から、三人まで子を認めるように政策を転換したのは、いかにも場当たり的だが、それだけ状況が深刻なのだろう。
さらにその根源には、人口問題がある。大昔、日本の大陸進出の時代に、「馬賊の歌」というのが流行したことがある。
俺も行くから君も行け 狭い日本にゃ住み飽いた 海の彼方にゃ支那がある 支那にゃ四億の民が待つ
右がその歌詞だが、当時の人口は四億。いまや十四億三千万。驚くべき増大である。日本の人口は一億二千四百万弱。アメリカでも三億三千万だから、とても比較にならない。ヨーロッパには、ロシアを除くと(ロシアがヨーロッパかどうか問題ではあるが)、一億を超える国はない。
中国共産党が、新疆ウイグルやチベットなどへの強圧的な支配を続けるのは、そこを保持することが、この膨大な人口を抱える中国の生命線を維持するための必要条件だからであろう。漢民族がもともと支配していた中国の中心部分は、地図で見るとわかるが、驚くほど小さい。それゆえ周辺地域は、何が何でも支配下に収めておく必要があるということになる。新疆ウイグルなどは、そこに埋蔵する豊富な地下資源を手放せないという理由も大きい。
民主化の要求は、いわゆる少数民族の独立要求などとも結びつく危険もあるから、これを徹底して押さえ込むことは、中国共産党にとっては、むしろ理の必然でもある。解放すべき人民に「人民解放軍」が銃を向けるという一見不合理な現実は、そこに生まれる。そうしなければ、中国は分裂せざるをえないからである。
かつてのヨーロッパの植民地支配のような対外進出を、中国が積極的に押し進めようとする理由も同じである。それによる経済発展をはからなければ、この国の維持が不可能だからである。
今回のコロナ禍も、あきらかに右のような状況を背景に考えなければならない。中国共産党の官僚的な体質は、末端においては私的な利権と結びつき(ベトナムなどはもっとひどいと聞く)、つねに責任逃れを生む。それゆえ、コロナのような疫病が生じても、地方政府は当初、徹底して隠蔽を決め込んだに違いない。かつての中国なら、それで済んだ。武漢地域のただの風土病で終わっただろう。ただし、それでは済まなくなったのがいまの中国で、経済規模の拡大は、たちまちに感染を国内・国外に広めることになってしまった。
好むと好まざるとにかかわらず、日本は、今後も中国のこのような状況と向きあわなければならない。冒頭に記した中国の二つの大きな問題をどう捉えるかが、その要諦であるはずなのだが、日本の現状はもっと危ういから、こちらの方がさらに深刻なのかもしれない。コロナ禍の呆れるような対応を見ていると、日本の政治家が総じて場当たり的であり、何も考えていないことがよくわかるからである。
中国について、ここに書いたことは、ほぼ常識なのだろうと思うのだが、テレビなどでは正面から論じられない。どういうわけだろう。